夏の甲子園、大阪勢としては初の連覇だが通算14回目の優勝は圧倒的 ~令和最初の優勝が履正社で、大阪勢の2強新時代を形成か~
大阪勢の甲子園での優勝、準優勝の歴史
優勝した履正社 ※提供=共同通信社
101回目となった、全国高校野球選手権大会。令和最初の夏の甲子園となったが、履正社が星稜を5対3で下して初優勝を飾った。これは、昨年の大阪桐蔭に続いて大阪勢としては2年連続制覇ということになる。大阪勢として夏は通算14回目の優勝となった。ちなみに、春も大阪勢は昨年の大阪桐蔭の連覇などで通算11回の優勝を果たしている。春夏合わせると25回の全国制覇を果たしているということになる。これは、2位の愛知県勢の19回(春11回、夏8回)を引き離して圧倒的な実績である。
大阪勢の夏の甲子園としては初めての連続優勝だったということは、近年の大阪桐蔭の強さと実績を考えると、ちょっと意外な感じもした。なお、夏の選手権の大阪勢の優勝校としては履正社が6校目ということになる。
大阪勢の優勝の系譜をたどってみると、いくつかの時代があったということがわかる。
まずは、戦前から1950年代頃までの浪華商(その後は浪商、現大体大浪商)時代だ。その後の70年代後半から80年代にはPL学園時代が訪れるのだが、そのつなぎのような形で大阪明星、興国が優勝を果たしている混戦時代。そして90年春の近大付、91年夏の大阪桐蔭、93年春の上宮などを経て、2000年代からは大阪桐蔭時代に突入していく。
近年の大阪桐蔭の凄さは春夏合わせて8度の決勝進出があるがいずれも勝利しているということである。KKコンビと言われた桑田真澄、清原和博を擁するなどで一時代を形成したPL学園でさえが通算では、KK時代を含めて4度決勝で苦杯を舐めていることを思えば、大阪桐蔭の決勝での強さは驚異的だ。
そして、今回の履正社は春2度の準優勝を経験して、3度目の決勝進出となったのだが、ついに全国制覇を果たしたということになる。
近年の大阪の勢力構図としては、2010年以降、毎年春夏の甲子園は大阪桐蔭か履正社が代表となっており、それ以外の学校が代表となったのは11年夏の東大阪大柏原、15年夏の大阪偕星学園と記念大会で南大阪代表となった近大付の3校しかない。春のセンバツに至っては、この両校のどちらかしか代表になっていない。
それだけ大阪桐蔭と履正社の力が突出しているということになる。ただし、甲子園での実績と全国的知名度としては大阪桐蔭が大きくリードしていたが、今回の優勝で履正社としても一気にその差を詰めたといってもいいであろう。履正社もここ数年の中で春夏合わせて3度、甲子園の決勝に進出しているのだから一つの時代を形成しているといってもいいくらいだ。
そして、今後も当分はこの2強時代が続いていくことになるであろう。
平成になって、昭和のPL学園時代を凌ぐ強さを示してきた大阪桐蔭だったが、令和初の栄冠には履正社が輝いた。これが、新たな時代の到来を象徴していくことになるのだろうか。
甲子園での優勝、準優勝の記録
【春のセンバツ】
優勝11回=
1937年 浪華商(その後に浪商、現大体大浪商)
1949年 北野
1955年 浪華商
1981年 PL学園
1982年 PL学園
1987年 PL学園
1990年 近大付
1993年 大阪上宮
2012年 大阪桐蔭
2017年 大阪桐蔭
2018年 大阪桐蔭
準優勝10回=
1934年 浪華商
1953年 浪華商
1970年 北陽 (現関大北陽)
1971年 大鉄 (現阪南大高)
1979年 浪商
1984年 PL学園
1989年 上宮
1998年 関大一
2014年 履正社
2017年 履正社
【夏の選手権】
優勝14回=
1946年 浪華商
1961年 浪商
1963年 大阪明星
1968年 興国
1978年 PL学園
1983年 PL学園
1985年 PL学園
1987年 PL学園
1991年 大阪桐蔭
2008年 大阪桐蔭
2012年 大阪桐蔭
2014年 大阪桐蔭
2018年 大阪桐蔭
2019年 履正社
準優勝5回=
1916年 市岡中(現市岡)
1952年 八尾
1970年 PL学園
1976年 PL学園
1984年 PL学園
(記事=手束 仁)