ライバルがいたからこそ成長できた!中高一貫の強みを活かす大分(大分)【中編】
前編に続き、エース・長尾凌我、プロ注目の捕手・江川侑斗、大型二塁手・足立駿(すぐる)、三塁手・飯塚和茂、中堅・小手川巧に、大分で野球を通して学べた2年半について話してもらいました。
前編はこちら!
選抜出場校大分、夏の敗戦に何を感じたのか?【前編】
<メンバー>
長尾凌我(3年) 投手
江川侑斗(3年) 捕手
足立駿(3年) 二塁手
飯塚和茂(3年) 三塁手
小手川巧(3年) 外野手
ライバルがいたからこそ成長できた!
左から、飯塚和茂、足立駿
――この高校生活2年半はどんな期間だった?
飯塚和茂:
2年半は、正直言って今まで野球してきた中で一番もどかしい時間でした。結果も出なかったですし、チームとしても中学校の頃に思い描いていた通りの成績は全く出せてなくて、中学ときは、九州大会でも常に上位に入っていたので、高校に入るまでは[stadium]甲子園[/stadium]は3回はいけると正直、簡単に考えていました。1年の夏に経験した時に[stadium]甲子園[/stadium]はそんなに甘くないと言うか、今までの考えでは駄目だと思って、そっからより野球に注ぐと言うか、野球以外のことをあまりせずに、野球を中心ですると言うか、そういう風になったんで。2年半の成長としては、野球の考え方というか、怖さもわかったので、楽観的な考え方というのはなくなりました。
野球の見方では、昔は「こいつ飛ばすな」とか「(球が)早いな」でしか見てなかったんですけども、高校に入ってから、廣瀬先生(廣瀬茂部長)もよく言うんですけども「いいピッチャーは、速いだけでなくて勝たせることが出来る」とよく言ってたりしてたので、良いピッチャー見た時に前は球速とかにしか見てなかったんですけども、今はフィールディングとかそういうのも見れるようになったんで、そういうところも成長できたのかなと思います。
足立駿:
人間が変われたと思います。
物事を客観的に見れるようになったというのは思います。例えばチームの練習中とかも、もし外から見てる人がいたらどういう感じなんだろうとか、試合中とかも今の自分の行動を周りから見たらどうなんだろうとかを考えながらできるようになってきたのかなというのは思います。
左から、江川侑斗、長尾凌我
江川侑斗:
自分は大分中学から高校に入ってきたので、いろんなところから集まってきた選手に負けたくなくて。
自分は代表(中学時代にシニア全国代表)にも選ばれて。高校に入って、すごい人も高校から(大分に)入ってきて、そういう人たちに負けたくなかったです。ライバルがいて、その中で競争しながらレベルアップできたので、一緒に競ってくれた仲間がいて成長できた期間でした。やっぱりライバルがいないと井の中の蛙ではないですけど、だから競える仲間がいたことはレベルアップを維持する上で良かったです。
長尾凌我:
自分は高校上がってきた時に、周りのメンバーを見たときに自分がベンチに入るのは、やばいなあというのはあって。正直自分はスピードもないですし、今頑張っておかないと、そういう人たちが、もし1年の秋とかなって、絶対に投げれるような力を持った人たちだと思っていたので、そういう人が、どんどん試合で投げてしまったら置いてかれるなというのはずっと思っていました。じゃあ入った時から そういう人たちには負けないという思いでずっとやってきて、そして1年の秋から背番号をつけさせてもらって、2年になってからはエースナンバーをつけさせてもらったんですけども、
そう言った中で、(江川)侑斗とは小学校からやって来てバッテリー組んできて、そういうたちとか、やっぱり中学ときもずっとエースでやるしてもらってたんですけども、中学からやってきた人たちや、高校から一緒にやってきた人たちを信頼していたし、そういう人から信頼されていて。
情けないことに終わってから気付いたんですけども、夏が終わって悔しがっている時にそういう人たちからも色々と声をかけてもらって 「お前で負けたんだから後悔ない」という言葉を聞いた時に、自分が信頼していただけじゃなくてみんなが信頼してくれたんだなということに気づいたんで、それは2年半だけじゃなくて、小学校から中学校から積み上げてきたものなので、そういう信頼というのは積み上げてくるには時間がかかるんだなと思ったし、結果的には負けてしまったんですけど、自分なり頑張った2年半で、そういうのを皆見てくれて、最後自分に託すようなとこまで、きたんだなぁと思えました。そういうのはちょっと嬉しかったですけど、半分申し訳ないなぁというのはあるんですけど。やっぱり信頼を築き上げた2年半だったんじゃないかなと思います。
[page_break:強さの秘密は大分中シニア・中学から一貫指導]強さの秘密は大分中シニア・中学から一貫指導
小手川巧
小手川巧:
自分だけ(今回の座談会のメンバーの中で)大分中学校じゃなくて他の中学から来たんですけど、 シニアの時は打てない時は何で打てないんだろうとかあまり考えなくて、打てないままでやっていて、指導者からなんかヒントをもらって、指導が来て当たり前という中であってきたんですけども。
高校に入って人数も増えて自分で自主的にやらないと駄目だということが分かって、どうやったらヒット打ってるんだろうとかも、調子が悪いと何で調子が悪いんだろうとか考えて、じゃあこいつがずっと打てるけどなんで打てるんだろうとか観察して、人の良いところは盗んだり、自分のバッティングの動画の見て、こういう悪い癖は直すとか、練習メニューとかを自分で考えるのは難しいときは、自分から廣瀬先生に聞いたりとかして、自分で考えながらやる野球をやるというように変わりました。
中学校の時のチームに行って練習した時に、指導者とかお母さんたちからは、しゃべる言葉とか内容とかがすごく大人になったなぁとか、中学校の時はもっと馬鹿で、何も考えずに、その場その場でなんとかなるやろという考え方でやってきたのが、高校に入ってから久しぶりに会った人たちからは、なんかすごい大人になったらとかは言われることが多くなって、
自分身長高くて、周りから見たらスタイルがいいんですけど、中学の時は外見が良くても中身が何かちょっと幼いみたいな、入学した時とかは最初はモテたんですけども、中身が幼いことを知られて、幼い感じが好きな女子からしかモテなかったんですけど、
全員:(笑い)
小手川巧:
中学いた時同級生とかに会ったら外見に見合った中身になってきたなみたいな感じで言われるようにことが多くなったので、今もままだ全然なんですけど、中身が少しは成長したなと思います。
――大分中学から進学してきた子たちとは違いを感じた?
小手川巧:
最初は正直、リトルシニアで知ってるのは知ってたんですけど大分中の人たちがくっついていて、練習では入りづらいなというのはあったんですけど、自分たちがやっていた野球と違って大分中学校の人たちは自分たちでも考えてやっていて野球の会話とかもすごくレベルが高いなと感じました。
初めのうちは、連携プレーの確認とかする時に、内野手が話してる中に入らなかったんですけど、入らなかったのは外野だから入らなかったというよりはレベルが高かったから入っても何もしゃべれないから嫌だった。そもそもやっている意識というのが違ったそれですごく入りづらかったです。
――大分リトルシニアの意識の高い秘訣は?
飯塚・足立・江川・長尾:
指導者です!岩崎(久則)監督(※注1)です。
注1:岩崎 久則(いわさき・ひさのり)
大分中シニア監督。大分高校卒業後に、新日鉄大分でプレーその後、1990年にドラフト4位でプロの門を叩き、オリックス、ヤクルトに在籍した。
左から、長尾凌我、小手川巧、足立駿、飯塚和茂、江川侑斗
編集後記
座談会中に常に感じていたことは、5名とも自分の考えを、きちんと言葉にできることだ。その力こそ、大分で2年半学んだ無形の財産だろう。 もちろん、大分中学から入学した選手たちは中高一貫で鍛え上げてきた力だ。廣瀬茂(ひろせ しげる)部長は、話す「中学の頃に、すでに1分間スピーチをさせていたました」。「言葉にできる」という強みは、今後どの世界に行っても使える大事な武器になる。彼らはその武器を大分での野球を通して学んでいったのだろう。
【後編を読む】プロ入りを目指す江川侑斗!5名が考える将来への道!大分(大分)【後編】
(コーディネーター:田中 実)
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