元MLBプレーヤー岩村 明憲さんが語る、令和に移っても「忘れてはいけないこと」
2007年2月に首都圏から居を四国地区に移し13年目。「さすらいの四国探題」の異名を背に四国球界でのホットな話題や、文化的お話、さらに風光明媚な写真なども交え、四国の「今」をお伝えしている寺下友徳氏のコラム「四国発」。
平成最後となる第43回ではルートインBCリーグ・福島レッドホープスで社長兼監督を務める元MLBプレーヤー岩村 明憲さんを紹介。昨年12月28日に開催された「第5回西日本豪雨災害復興チャリティー・プロ野球愛媛県人会野球教室」後の話を交えながら、時代が平成から令和に移ろっても「忘れてはいけないこと」を考えます。
四国発MLB経由・独立リーグ社長兼監督「2つのふるさと」への想い
子供たちに丁寧に教える岩村明憲・福島レッドホープス代表兼監督
「7月の豪雨災害で、まさかふるさとがあんなことになるとは……。最初は野球どころではなかったかもしれないし、まずは生活を戻すことが大事だったと思う。ただ、時間が経って情報も入ってくる中で、子どもたちを含めて地域の盛り上がりにつながればいいと思って、急きょ南予での会場を追加してもらいました。県人会のメンバーも『自分たちが何かします』という声をあげてくれたし、想いをもってやってくれました。野球道具とかが流された子供たちもいる中で、僕らはできるだけ協力したいと思います」
昨年12月28日に西予市立宇和球場で行われた「第5回西日本豪雨災害復興チャリティー・プロ野球愛媛県人会野球教室」。例年行われている東予・中予・宇和島市周辺の南予会場に加えて西予市での追加開催を決断した理由を、岩村 明憲・プロ野球愛媛県人会会長はこう明かしてくれました。
愛媛県宇和島市出身の岩村さんについては野球を知る方々なら多くの説明は不要でしょう。宇和島東から1996年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団すると、2014年までにNPBでは1172安打。2007年からの4年間はMLBで活躍しタンパベイ・レイズなどで413安打。2008年のワールドシリーズ進出、2006・2009年のWBC連覇など燦然たる実績を残した後、2015年にルートインBCリーグの福島ホープス(現:福島レッドホープス)へ入団。
初年度は選手兼監督。2年目・3年目は代表・監督・選手の三刀流。昨年は現役を退き代表・監督を務めた後、昨年11月からは四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツで監督を務めた経験も持つ星野 おさむ氏をGM兼ヘッドコーチに据えて自らが新運営会社の代表取締役社長となり、社長兼監督として奮闘しています。
そんな想いと行動に達したルーツは何か?それは2年間所属した東北楽天ゴールデンイーグルスの移籍初年度の2011年に遭遇し、今も四国から遠く離れながら「これが運命、2年間東北にいたことで必然に変わった」福島県で「福島の復興なくして日本の復興はない」信念の下に運営を引き受けた最大の理由である「東日本大震災」です。
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懇親会での岩村明・福島レッドホープス代表兼監督(左)
以前、岩村さんは当時のことについてこんな話をしてくれました。
「僕らは当時、遠征中で1ヶ月した後くらいに東北に帰ってきて被災地を訪問したんですが、現地に行った時には言葉を失いました」
2011年3月11日から8年以上が経過しても、いまだ傷が残り、闘いが続いている東北の事実。他にも熊本県、愛媛県・広島県・岡山県を含め、日本各所でいまだ災害からの原状回復すらできていない現実。いまだそれは平成から令和を超えても、決して風化させてはいけないことです。
そんな方々に「ふるさとへの恩返し」で設立したプロ野球愛媛県人会、「今までやってきた野球で地域に元気を与える」目的をもって「自分の夢を語るのは二の次にして地域のために語ることを掲げて」活動している福島レッドホープスをはじめ、野球は政治や経済・芸能などとは違った形で寄り添える。
幸いにも日本において野球は過去の歴史で確固たる地位を築いてきたからこそ、個人スキルの向上を超えて広げられる活動があることを私たちは時代の節目に改めて考える必要があるでしょう。
「子どもたちは野球だけでなく、学業や習い事も含めて一心不乱にやってもらえばいい。あとはそれを支える大人たちが今まで以上にやりやすい環境を作ってあげないといけない。野球をしている子どもたちが向上心を持って取り組んでくれれば『野球王国えひめ』の復活は間違いなくあると思います」
愛媛県に対してはこんなメッセージを送ってくれた岩村 明憲さん。私たちもこの金言を心に留めて、新たな時代を迎えたいと思います。
(文・寺下 友徳)