目次

[1]“西高東低”の勢力図を一挙ひっくり返した松坂大輔
[2]松坂は高校野球人気も盛り返した

 野球にはさまざまな“あのとき”がある。つまりターニングポイント。プロ野球では長嶋 茂雄が巨人でプロデビューを飾った1958(昭和33)年、野茂 英雄が近鉄を任意引退となってドジャースに渡った1995(平成7)年、イチローがシーズン210安打を放った1994年、1リーグ制をめぐる再編騒動があった2004(平成16)年、大谷 翔平関連記事)が日本ハムでプロデビューした2013(平成25)年が私にとっての“あのとき”。そして、高校野球では横浜高校が甲子園大会で春夏連覇した1998(平成10)年が私にとっての“あのとき”である。

“西高東低”の勢力図を一挙ひっくり返した松坂大輔


「私にとっての」と限定的に言ったが、横浜高の春夏連覇は歴史的に見ても大きな“あのとき”だった。横浜高校が天下を取る以前、93~97年までの過去5年間の春夏の優勝校は西日本勢の独壇場だった。近畿勢が上宮高(93年春)、育英高(93年夏)、智辯和歌山高(94年春97年夏)、天理高(97年春)の5回(4校)、九州勢が佐賀商94年夏)、鹿児島実96年春)の2回、四国勢が観音寺中央高(95年春)、松山商96年夏)の2回で、東日本勢は95年夏帝京高が優勝した1回だけ。この“西高東低”の勢力図を横浜高というより松坂 大輔は一挙にひっくり返した。

 甲子園で脚光を浴びる前年、松坂は夏の神奈川大会決勝、横浜商(以下Y高)戦でサヨナラ暴投を演じている。上体を激しく揺するフォームは2017年現在の松坂のようであり、この体の横振りが腕の振りをスリークォーターにし、右打者の内角方向に抜ける悪癖を誘っていた。サヨナラ暴投の場面を再現しよう。2対2で迎えた9回裏、一死一、三塁のピンチで松坂はスクイズを警戒し左打者の外角に大きく外すと、これがバックネット方向に転がる暴投となって三塁走者が生還する。一打サヨナラの緊張を要する場面が指先の感覚を狂わせたという見かたもできるが、右打者の内角方向(左打者の外角方向)に抜けやすい腕の振りや左肩の早い開きが暴投を呼んだと言った方がいいと思う。

 この97年夏までの松坂とそれ以降の松坂とでは投手としての“姿”がまるで違う。97年夏の松坂はドラフトという物差しで評価すると3、4位、それが97年秋以降は「20年に1人」くらいの評価になる。わずか1カ月で投球フォームが変わっていることに驚かされる。まず体の横振りが縦振りに変わり、腕の振りがスリークォーターからオーバースローに変わった。この変化によって横変化一辺倒だったスライダーに縦変化が加わり、向かって右方向へ抜けるストレートも少なくなり、代わりに打者を圧倒するボリュームが生まれた。