3年生座談会 鹿児島実業高等学校(鹿児島)「悔しかった」でも「楽しかった」 vol.1
この夏、鹿児島の甲子園出場を決める頂上対決は、鹿児島実と樟南が歴史に残る名勝負を繰り広げた。7月24日の決勝戦は1対1のまま延長15回、4時間を戦い抜いて決着がつかず、98回を数える大会史上初となる再試合が2日後の26日にあった。再試合もまた1点をめぐる厳しい攻防が2時間27分続き、3対2で樟南が競り勝ち、3年ぶり19回目となる夏の甲子園への切符を手にした。
第1シードだった鹿児島実にとっては、2年連続の夏と、春夏連続の甲子園出場を逃した「悔しい」(綿屋樹主将・3年)思い出が詰まった一戦だ。同時に、お互いに「最強のライバル」と認め合う同士が力の限りを出し尽くし、「楽しかった」と綿屋主将は言う。決勝と再試合、合わせて6時間27分の死闘の末、あと一歩で夢に届かなかった鹿児島実の3年生が想いを語り合った。
■座談会メンバー
綿屋樹(わたや・いつき) 主将、一塁手、180センチ、86キロ、川内南中出身
※インタビュー:「目指すは打率8割以上!」
谷村拓哉(たにむら・たくや) 投手、171センチ、64キロ、加治木中出身
佐々木幸大(ささき・こうだい) 中堅手、168センチ、75キロ、長島中出身
井戸田貴也(いとだ・たかや) 副主将、捕手、170センチ、73キロ、天白中(愛知)出身
夏・準決勝までの戦いをおさらい!
綿屋樹(鹿児島実業高等学校)
――この夏は、初戦で奄美にコールド勝ちしてから、枕崎、鹿児島池田、薩南工、志布志に勝っての決勝戦でした。準決勝までの戦いぶりはどうでしたか?
綿屋:準決勝でれいめいと試合できなかったのが予想外でした。太田(龍・3年)君<関連記事>と対戦したかったです。
井戸田:初戦の奄美戦はコールド勝ちでしたが、自分たちらしい野球をやりきれていなかった。試合の後で長いミーティングをして、チームが一つになり切れていないことを確認し、そこから徐々にまとまって雰囲気も良くなって、一つになって戦えたと思います。
――準決勝で5回コールド勝ちした後、対戦相手は延長13回を戦い抜いた末で樟南となりました。決勝戦を迎える心境はどうだったのでしょう?
谷村:決勝が樟南というのは予想通りでした。練習してきたこと、やることをやれば勝てると思いました。
佐々木:僕も予想通りでした。浜屋(将太・3年)君が準決勝でたくさん投げたとか、畠中(優大・3年)君がいるとか、樟南のことは考えず、今までの練習通りにやろうと自分たちのことに集中することを考えました。
井戸田:準決勝で左手の甲に死球を受けました。以前も同じところに受けてヒビが入ったところを、骨折してしまいました。何とか試合に出たかったので病院には行かず、できる限りのケアをして、様子を見ましたが、翌朝もやっぱり痛くて、ミットもはめられない状態だったので、出場を断念しました。
綿屋:相手が樟南と決まった時は「やっぱりか」と思ったぐらいで特に何も考えることなく、最後の試合なので楽しくやろうと考えていました。
日本中から注目を集めた樟南との決勝戦
座談会の様子(鹿児島実業高等学校)
――樟南のエース浜屋君をどう攻略するかを、大会期間中から宮下監督はずっとポイントに考えていました。浜屋君対策は具体的にどうしていたのでしょうか?
綿屋:マシーンを、左打者から見て正面よりも数メートル右側に置いて、ボールがクロスファイヤーでくるように設定しました。あとは、低めのワンバウンドになるスライダーにセットしてそれをひたすら見逃すという練習をグラウンドのサイドでしていました。
――最初の決勝戦、実際の先発は浜屋君ではなく畠中君でした。鹿児島実は序盤3回を3人ずつで完璧に抑えられました。あの時の畠中君はどうだったのでしょう?
綿屋:初速と終速に差がなくて、外から見ているよりも球威があって打ちづらかったです。僕らはずっと浜屋君をイメージしていて、浜屋君は真上よりもやや横からスリークオーター気味で投げるのに対して、畠中君は真上から投げます。その違いと浜屋君のスライダーをどう打つかをずっと考えていたので、直球主体の投球に戸惑った部分がありました。
佐々木:樟南のバッテリーはインコースを攻めてくるというイメージがありました。僕はインコースを打つのを苦手にしていたので、ティーバッティングでもインコースをさばく練習をしていました。実際に打席になってみると、制球は良いし、何より躍動感があって打ちにくかったです。
谷村:僕は投球に専念しようと思っていたので、「バットを振って当たればいい」ぐらいで、打撃のことはあまり考えていなかったです(笑)。
井戸田:投手2人は一級品のものをもっていると思いますが、僕はむしろ捕手の前川(大成・3年)君の配球に注目していました。あの2人の良さを引き出す配球をしていました。試合中、うちの選手たちとも話し合ったのですが、各打者1人1人に違う配球を心掛けているし、1打席1打席でも配球を変えていました。
春の九州大会の頃から、僕は樟南の投手の配球を取っていました。配球の基本パターンは右打者の内角、左打者の外角なのですが、直球だと思ったらスライダーだったり、その逆だったり、使う球種のタイミングが読めませんでした。他の投手はだいたい癖が読めるのに、樟南の場合は1年間を通して配球が読めず、前川君はすごいと思いました。
――打者一巡抑えられた中で、鹿児島実の最初の1本が綿屋君のタイムリーでした。
綿屋:僕もどちらかといえば、投手よりも前川君と勝負しているところがありました。その打席、僕は最初のボールを中途半端なスイングでストライクをとられたら、前川君が「よっしゃ!」ってガッツポーズをしたんです。それにカチンときて「こいつ、ぶちのめしてやる!」と気持ちが入りました(笑)。
打席に立つと、前川君はずっとしゃべっているんです。「インコース、インコース」といってその逆のボールがきたり、その通りに来たり…気にしないようにはしていてもやっぱり気になるじゃないですか。あの打席では最初「外のスライダー」と言ってその通りのボールが来て、次が「インコース」と言ってその通りになりました。インコースもあると頭に入れて違う真ん中高めのボール気味の球がきてびっくりしたんですが、思い切って振ったら良い感じで打球が飛んでくれました。
ファインプレーが光った鉄壁の中堅手!
守備面では立ち上がり、けん制悪送球、暴投で先制点を許しました。捕手が井戸田君じゃなかったことで、戸惑った部分があったのでしょうか?
谷村:捕手の違いではなくて、あの試合の立ち上がりは僕の中で上半身と下半身のバランスが悪くて、「きょうはヤバいんじゃないか」と焦りました。二塁にけん制を投げた時は下半身が出ているのに上半身がついてこなくて悪送球になり、その次の投球でスライダーを投げたら下半身に対して上半身が開いてしまって暴投になってしまいました。2回以降は、上が遅れないように速く回して下がついてくる感覚で修正し、これ以上点をとられないことに全力を尽くしました。
――あの試合ではセンター・佐々木君の再三の好守、大飛球を4度好捕するファインプレーが光りました。
佐々木:投手が谷村ということで、フライが多くなるということは分かっていたので、心の準備はできていました。何より、今まできつい練習をしてきたので、それを出すしかないと思っていました。「少しでも谷村を楽にさせたい」と思って守っていただけで、あんなに何度も捕れて、ファインプレーになったのは出来過ぎな部分もありましたが、少しでもチーム貢献できるプレーができたところに自分の成長があったと思います。
春の九州大会、長崎日大戦で、センターフライを背走して、追いついたのに落としてしまって、それが原因で負けてしまいました。その悔しさがあって、ずっと毎日練習してきたのであのファインプレーがありました。何より、守っていて楽しかったです。
谷村:あれが全部ヒットになったら、マウンド正直もきつくなったと思います。あの4つのファインプレーは無茶苦茶大きかったです(笑)。
井戸田:ヒットかと思ったボールを全部とってくれたのは大きかったですね。畠中君が打席の時に、僕が「右中間に来る」と思ってベンチから指示を出して右中間よりにポジショニングさせたんですが、実際には左中間の打球でした。それをダイビングキャッチで捕ってくれたのは本当にすごかったです。
綿屋:「かっこいいなぁ」と思いました。あんな多くの観客がいる前で、ファインプレーしたらかっこいいじゃないですか。ファーストではなかなかファインプレーをする機会も少ないですから(笑)。
佐々木:確かに大観衆がいるのは気になりましたが、甲子園がかかっている大事な試合でしたし、1球に対する集中だけは切らないようにしていました。
まだまだこの夏の鹿児島大会決勝戦トークは続きます!第2回もお楽しみに!
(取材・写真=政 純一郎)
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