3年生座談会 市立川越高等学校(埼玉) 「甲子園常連校を破って夏ベスト8!」【後編】
この夏、浦和学院に1対0と競り勝ち、埼玉大会8強入りを決めた市立川越の3年生に座談会取材!前編では、新チームスタート当初から、なかなか結果が出せなかったことや、これまでの秘話を伺いました。後編では、この夏、4回戦で浦和学院を下してベスト8にまで進出した。そのプロセスを3年生たちに回顧していただきました。
<出席者>
中祖 昂也(狭山市立入間野中 出身)二塁手
石井 光(所沢市立東中 出身)遊撃手
早川 郁也(嵐山町立玉ノ岡中)投手
新井 陽太(ふじみ野市立大井中)捕手
佐藤 史哉(入間市立金子中)外野手
横田 冬馬(ふじみ野市立大井西中)外野手
夏の初戦から大苦戦!ここからどうなる?
新井 陽太君(市立川越高等学校)
――その初戦は草加南だったんですが、結果はコールドでしたが、予想以上に大苦戦でしたよね。
新井:あの試合は、(先発した2年生エースの)メンディスが全然よくなくて、球が走ってなくて、掴まってしまっていましたね。
佐藤:攻めとしても、拙攻でなかなか点が入らない状況でした。
新井:メンディスがダメで、宮田が行って、これも掴まってしまってというところでした。
――それで、一死満塁カウント3ボールから早川君がリリーフに行くことになるのだけれども…、その辺の心境はどうでしたか。
早川:とにかく、投球練習でも全然ストライクが入っていなくて、そんな状況でした。
佐藤:みんな、押し出しの1点は覚悟していました。
早川:自分も、押し出しはしょうがないというか、覚悟はしていました。ところが、それを抑えられたんですね。
横田:その裏だったっけ、点が入って流れがこっちへ来るんだよね。
石井:守備のリズムもよくなりました。
中祖:そこから、点が入っていって、結果的にはコールドゲームになりました。
――その試合で、終わった後はどう過ごしたんですか。
横田:帰ってすぐにミーティングでした。そこで、新井先生にものすごく怒られました。大会中なのにこんなに怒られるのかというくらい怒られまくりました。「もう、この夏は終わったな」みたいなことを言われました。
中祖:これじゃいけないと思って、ホワイトボードに20人の名前を書いて、そこに具体的にやることを書いていって、目標をより分かりやすくしていきました。
新井:やはり、口に出して、具体的に目標を書くということが大事でした。
中祖:目標は大きく持とうということで、「所沢商に5回コールド」なんて書いていました。
石井:実際はコールドどころじゃなくて、大変な苦戦でした。最後、自分が打てたんですけれども、この試合は早川がリリーフして打たれてしまっていたので、そのまま負けたら(早川が)野球を嫌いになっちゃうんじゃないかと思っていました。打席では、なぜか無心になれて、同点打を打てました。
横田:前の打席に代打で出ていてバントだったんですが、そのまま守りについていて、勝っていましたから本当は打席が来ないはずだったんですけれども…。逆転されたんで、打席が回ってきてサヨナラ打になったんです。実は、大会での初スイングだったんですが、それがサヨナラ打になりました。
新井:3年生の力というか、そんなものが出たんじゃないですか。
佐藤:積み上げてきたメンタルの力が出せたのではないかと思います。
横田:本当に、そうでしたね。何かが打たせてくれました。
1対0で競い勝った浦和学院戦
石井 光君(市立川越高等学校)
――こうして、浦和学院との試合を迎えることになるのですけれども、浦和学院との試合について話してください。
中祖:2回にメンディスの三塁打と犠牲フライであっさり先制するのですけれども、その後は点が入りませんでした。ただ、浦和学院も何かおかしかったですね。
石井:メンディスも、3回くらいから足が攣っていたんですよね。
早川:この試合は、自分も比較的早くから(リリーフの)用意をしていたのですけれども…。3回くらいにはブルペンで始めていましたが、その頃はもう心臓がバクバクでした(苦笑)。
中祖:メンディスが8回に塁に出て、それでまた足が攣って、交代となったんです。
早川:9回の頭からでしたが、先頭に四球を出してしまいました。次の諏訪(賢吉)が強攻してきて、これが三塁ライナーで助かりました。
中祖:あそこは、しっかり送られてきたほうが嫌だったですね。強攻できて打たれたら、しょうがないと思えるじゃないですか。
早川:あれで、落ち着けました。
石井:試合が終わった瞬間は、あんまり実感がなかったかもしれません。
早川:終わった瞬間は、何だか、夢の中みたいでした。浦和学院もここまで淡々と来ていたので…、もちろんマウンドに行く前は、ものすごく緊張はしましたけれども、マウンドに上がったら、案外平気でした。だから、三塁ライナーの後は普通に投げられました。
横田:これで史上最弱ではないと思いました。
石井:浦和学院に勝ったということは大きいと思います。もちろん、次からは「浦和学院に勝った…」という、レッテルは張られると思いましたけれども、それを背負っていかれるチームとして戦いました。
中祖:勝った後の方が、プレッシャーとして何かを感じていたのかもしれません。
――その後、正智深谷も倒してベスト8進出になりますね。そして、高校野球の最後の試合は準々決勝の聖望学園戦だったのですが、その試合が終わっときの思いというのは、どんな感じでしたか。
中祖:自分自身が、最後の打者だったんですけれども、最後は、「あっ、終わったな」と思いました。まだ続いていそうな感じでしたから終わったという実感もなかったんですけれども…。ただ、スタンドを見上げた時には、やはり少し涙が出ました。
石井:試合が終わった時は、泣くほどの悔しさではなかったですけれども…。もちろん、悔しいですけれども、後悔はなかったなと思います。やるだけのことはやったなという気持ちにはなれました。
早川:負けた試合は6回頃からリリーフで投げていたんですけれども、最後は自分たちの攻撃でしたから、ベンチにいて、「ああ、負けたんだな」としみじみ思いました。
「まだ諦めんじゃねぇよ」・・・涙の最終回
早川 郁也君(市立川越高等学校)
新井:実は、9回のワンアウトくらいから涙が出始めて、隣から「まだ、諦めんじゃねぇよ」なんて言われていましたけれども…。それでこらえていたんですけれども、試合が終わって、挨拶して、スタンドを見上げたらまた泣けてきて…。でも、秋も春も、すぐに負けていたチームがここまでやれて、自分たちがやってきたことは間違いじゃなかったんだという気持ちにはなれました。
佐藤:自分もめっちゃ泣いていました。スタンドを見て、「お疲れ様」とか言われると、また涙でした。自分としては、どこかで、もうちょっとやれたかなという気持ちもあったのかもしれません。
横田:試合が終わって、泣いていることは泣いていましたけれども、だけど後悔はありませんでした。最後の試合は、佐藤の代打で出てその後、レフトの守りについていたんですけれども、その時に自分たちの応援スタンドが見えて、それがぐっと心に来ました。試合が終わって、みんなから声かけられたら、また、泣いていました。
――それぞれの思いが伝わってくる感じですね。最後に、中祖君の主将としてのこのチームへの思いというのを聞かせてください。
中祖:気づくのが、少し遅かったかなと思います。もっと早く気づいていれば、もっと早く力をつけられたと思いますし、そうすれば、もっと上に行けたかもしれませんでした。
――ありがとうございました。みんなの、次のステージでの頑張り、活躍を期待しています。
全員:はい、ありがとうございます。
◆
対談を終えて、新井 清司監督からこのチームに関しての思いをひと言聞いてみた。
「本当に、改めて高校野球は3年生次第だと思ったね。特に、夏の大会っていうのは、それが如実に出ますよ。実は、メンディスとともに、もう一人用意していた2年生の投手がいて、それが10番をつけていたんですけれども、大会前に骨折していたということがわかって、登録変更ですよ。
正直なところ、これで夏は終わったなと思っていました。それが、まさかの浦和学院に勝利でしょう。そんなことは考えられもしなかったですよ。だからといって、もっと勝ってしまったら…、それこそ大変なことになっちゃうから(笑)、ベスト8でちょうどよかったんじゃないの(苦笑)。だけど、歴代の中でも、最後にぐっと伸びた3年生たちだったね。そこは評価しますよ」
(取材・写真=手束 仁)
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