都立小山台・福嶋正信監督が明かした「指導理論と1週間の取り組み」 【前編】
200以上の学校が加盟している東京都高野連。昨夏は都立小山台が準優勝を果たし、都立高の躍進は目覚ましい。その躍進の裏には都立高の指導者の絶え間ない努力があることを忘れてはならない。今回は2月下旬、若手の指導者向けに行われた指導者講習会に講師として参加した都立小山台の福嶋正信監督の指導内容を具体的に迫り、都立高の指導者の底力や創意工夫ぶりを覚えていただきたい。
高校野球研究会が福嶋監督の原点
指導者講習会に講師として参加した福島正信監督(都立小山台)
「2014年の21世紀枠として出場いたしましたが、高校野球研究会の代表として出場させていただき、戦いました」
福嶋監督は2014年の選抜出場した時のことをそう振り返る。福嶋監督の言葉の中にあった「高校野球研究会」は都立高の底上げに欠かせないものだ。1978年、都立足立工の監督に就任して指導者人生をスタートさせた福嶋監督。まだ若く、理論もなく、ガムシャラにやるしかなかった。
ただそんな現状を脱しようと福嶋監督は年上の監督と頭を下げて練習試合を組んでもらい、勉強を重ねた。その時、出会ったのが高校野球研究会である。都立大島などで監督を務めていた樋口秀司先生が発足した高校野球研究会に参加した。「高校野球研究会」は毎年、テーマを考案して勉強会をしたりするもので、
福嶋監督にとっては大きな刺激だった。そこで常に学び、そして良いものはどんどん取り入れていくようになる。また、この研究会主催で、春季都大会に出られない学校のための大会も開催していた。
今の東京都球児の方は知らないと思うが、昔は春の一次予選はなく、秋は都大会に出場できなければ、夏まで公式戦がなかった。大会が出られない都立高のためになんとかしたい。強豪校のように強くなるメソッド、ノウハウがないチームに還元して、一致団結して都立高を底上げしてきた過程を福嶋監督は常に見ているからこそ、「高校野球研究会の代表」として発したのだろう。
福嶋監督が指導者として大きな実績を残すようになったのは2001年。都立江戸川の監督だった福嶋監督は野球ノートを取り組み始めた。きっかけは前任の都立葛飾野で能力が高い選手が揃っていても勝ちきれなかった反省から、ノートに取り組みを記したり、選手たちに内省を求めることで精神面を鍛えた。こうして夏の大会でベスト4入りを果たした。
都立小山台に赴任した今では、「野球日誌」、「チームノート」、「技術ノート」の3種類のノートを使い、そしてミーティングも欠かさず行い、多くの選手の思考力、精神力を大きくレベルアップさせている。
こうして都立小山台を都内屈指の強豪校として育て上げた福嶋監督。その練習内容・指導内容は綿密だ。練習内容・月間スケジュールは福嶋監督が組み、その予定は生徒にはLINE、そして保護者には代表者にメールで通達し、代表者はそれぞれの保護者に予定を共有している。1か月分の予定を把握することで自分が何をすべきかを理解できる。
[page_break:都立小山台の1週間の練習スケジュール!]都立小山台の1週間の練習スケジュール!
春季都大会ではベスト4に入った都立小山台
また都立小山台はほかの全日制の学校と違って最終下校が短いこと。17時に完全下校をしなければならない。1週間の大まかなスケジュールは以下の通りとなっている。
月曜日 麻布多摩川グラウンド(15:30~18:30)
火曜日 多摩川グラウンド(15:30~18:30)
Bチーム学校練習(校庭)半面
水曜日 隔週で校庭半面使用 または駐輪場
木曜日 休養日
金曜日 校庭で半面使用
土曜日 授業後 Aチーム遠征
日曜日 遠征試合 冬季は全面使用約3時間~5時間
平日は16時50分終了 17時完全下校 休日は16時半下校
月曜日~金曜日までウォーミングアップは行わない。
「ダウンも家や自主練習で行います」と徹底的に時間がかかるものを省いている。また週3回は朝練習(7:30-8:00)を行う。ここでの練習内容は他校を参考にしたメニューが多い。福嶋監督は「この練習は〇〇校から参考にしました」と包み隠すことなく話す。
また都立小山台は部員数が多いため、グループ別になってそれぞれのドリルに取り組む。内容は守備、打撃、トレーニングと多岐にわたる。
ちなみに都立小山台は冬の期間でもトレーニングだけの練習はなく、1年中、ボールを使った練習をしている。地域によってはグラウンドが使えず、実戦感覚が離れてしまうチームもあると思うが、都立小山台は年間通して実戦を意識した練習を行っている。トレーニングをやる場合であれば各自。練習時間も少ないので、選手たちの自主性が問われる環境だといえよう。
後編では都立小山台の練習の中身について具体的に迫っていきたい。
文=河嶋 宗一