『選手を第一に考える』指導の根底にある考え方 鈴木寿宝(秋田修英) vol.1
鈴木寿宝(すずき・ひとし)監督は秋田経法大付(現在の明桜)を卒業後、法政大学に進学。そして1987年に母校秋田経法大付に監督として戻ると、同校を8度の[stadium]甲子園[/stadium]出場に導いた。
鈴木監督の教え子は、摂津正(元ソフトバンク)を始め、小野仁(元巨人)、鎌田祐哉(元ヤクルト)など多くの選手がプロ入りしている。まさに、名実ともに秋田を代表する名将と言えるだろう。現在は、秋田修英を指導し、監督歴は30年を越える。今回はインタビューを通して名将・鈴木寿宝の指導論に迫りたい。
2人から始まった秋田修英での挑戦
秋田修英・鈴木寿宝監督
鈴木監督が秋田修英の監督に就任した当時、秋田修英の野球部員は2人しかいなかった。秋田修英での鈴木監督のスタートは、まさに0からのスタートだったと言えるだろう。
「部員全部で2人という時代がありました。自分が来た時に2人、9年前ですね。この二人が一生懸命休まずにやってくれたので、まずこの2人のためになんとかしなくちゃなと。まず試合ができるように7人を集めなきゃいけない。なんとか声をかけて来てもらって、次の年は11人になりました。そこから少しづつ少しづつ増えてきました」
鈴木監督のこのコメントで1つ取り上げたい言葉がある。
「まずこの2人のためになんとかしなくちゃ」
『選手を第一に考える』これこそが、鈴木監督の指導の根底にある考え方だろう。では、このような考えにどのようにして行き着いたのだろうか?
[page_break:主役は選手じゃないといけない]主役は選手じゃないといけない
選手たちへ指導をする鈴木寿宝監督
鈴木監督は高校時代、秋田経法大付で[stadium]甲子園[/stadium]に出場するなど、まさに強豪校という環境でプレーしていた。その後、母校(秋田経法大付)を8度の[stadium]甲子園[/stadium]に導くなど秋田の高校野球界の頂点にいたと言っても過言ではないだろう。ただし、鈴木監督が他の指導者と違う点は、高校野球界トップの環境だけでなく、幅広い環境に身を置いていたという点だろう。
「秋田修英に来る前も、人数が少ないチームを指導しました」
このように話すように、鈴木監督は秋田経法大付を指導した後、角館、西仙北などを指導している。人数も少なく、野球部に入ってくる選手のモチベーションや目標も、もちろん秋田経法大付時代とは大きく違う中で、鈴木監督は何に気がついたのだろうか?
「この子らを辞めさせられない、そのためにはどうしたらよいか。もちろん厳しい部分もあれば楽しい部分もある。でも、主役は彼らじゃないといけないという感じですね」
この経験が、当時2名だけの部員だった秋田修英の監督に就任時に役立ったのは言うまでもない。そして鈴木監督の指導者としての深みにも繫がっているのだろう。
「主役は選手。指導者は選手の成長の手助けをしているだけ」
この考えこそが、鈴木監督の指導の根底にあることは言うまでもない。
文=田中 実