目次

[1]試合で活躍するよりも、チームとしてどうプラスになったか?
[2]都立城東時代はレギュラーと控えの区別がなかった
[3]一流の控え選手の共通点とは?

 今の高校2年生が生まれた1999年。この年、東東京からは都立城東甲子園に出場した。甲子園に導いたのは有馬 信夫監督である。都立保谷を経て、現在は都立総合工科で監督を務めている有馬監督はこれまでいろいろなチーム、選手を見てきたが、今回は一流の控え選手というテーマでお話を伺った。

試合で活躍するよりも、チームとしてどうプラスになったか?

有馬 信夫監督(都立総合工科)

 一流の控え選手というテーマを挙げると、有馬監督はしばらく首をかしげ、
「難しいですね。私の場合、試合で活躍したというよりも、チームとしてどう貢献していったのか、チームにとってプラスになったかを大事にしています。1人挙げると、今、うちでコーチをやっている扇原 進はまさにそうですね」

 扇原氏は、有馬監督が都立保谷で監督をしていた時の教え子。中学時代は成績が優秀で、東大、京大、一橋大、東京工大と難関国立大の合格者を輩出する都立国立へ行ける学力を持っている選手だったが、都立保谷を選んだ。最初、有馬監督は都立国立へ行くべきだと何度も言っていたようだ。
「僕は反対でした。だって国立ですよ?国立に進学して、そこで頑張れば、良い大学に行けますし、それが君のためになるよと何度も言っていたんです。それでも保谷にきてくれたんです」

 それだけ有馬野球に憧れがあったということだろう。扇原氏は、入学時は投手だったが、後に捕手へ転向。だがなかなかベンチに入ることができなかった。しかし最後の夏でベンチ入りを果たした。

「野球が好きだという気持ちが一番で、技術的なことよりも、精神的な面で評価した選手でした。試合の活躍よりも、チームのためにいろいろなことに尽くしてくれる選手でした。チームを運営する立場として、そういう選手の存在は欠かせません。私は本当に意識が高いチームを見ていた時もありますし、なんでこんなことをするの?と思うチームを見ていたこともあります。一体感があるときは、扇原のような選手がしっかりとまとめている。だから扇原の存在は大きかったと思いますよ」

 こう扇原氏の活躍をたたえていた。その後、扇原氏は東京学芸大へ進学し、現在は教員となり、都立総合工科で指導している。夢は母校・都立保谷で監督を務めることだ。今でも有馬監督は扇原氏に厳しく接している。
「僕は何度も彼に監督に向いていないと言います。だからそれがつとまるように、しっかりとキャリアを積んでほしいと思います。彼は僕以上に『保谷愛』を持っている。OBとしていろいろ気にかけているようですし、そこは立派だと思いますよ」

 今回、扇原氏のような一例を紹介したが、指導歴が長い有馬監督はいろいろなチームを見てきた。控え選手の存在の大きさは、都立城東を出てから気付いたという。


■注目動画
「いつか、僕と戦うかもしれないライバルへ。」
「生きる道は、どこだ。」

このページのトップへ

PHOTO GALLERY フォトギャラリー

写真をクリックすると拡大写真がご覧になれます。