- トップ
- コラム
- 47都道府県 高校野球勢力図の変化
- 高いレベルで新旧の勢力が入り乱れ、群雄割拠状態が続く
第87回 高いレベルで新旧の勢力が入り乱れ、群雄割拠状態が続く2018年07月01日

【目次】
[1]甲子園出場経験のある学校が集まる南部地区
[2]筆頭格・九州国際大付に急成長・東筑のいる北部地区
[3]質実剛健で硬派な印象を受ける九州
甲子園出場経験のある学校が集まる南部地区

東福岡の選手たち
第100回記念大会を迎えて、福岡県は初めて夏の大会で記念大会枠として2校出場の枠が与えられた。
もともと福岡県は地域上、福岡市をメインとした南部と北九州市をメインとした北部とに大きく分かれていた。そして、地域性や交通事情などにもよるのだろうが慣例的に南部地区大会と北部地区大会がそれぞれベスト8あたりまでは行われる形となっていた。
そういう意味では、記念大会の枠組みもスムーズに決められた。それは、全県にわたって比較的バランスよく強豪校が散らばっているということもあるのではないだろうか。
南部地区の福岡市や久留米市には、大濠公園すぐ側の福岡大大濠と東福岡が両雄として存在している。東福岡はラグビー、サッカー、男子バレーの強豪としても全国制覇を果たすなど有名だ。また、大濠もバスケットボールやバレーボールでは全国大会に常時顔を出しているスポーツ校でもある。
福岡市の学校としては、昭和60年代には福岡第一が甲子園で準優勝して一時代を築いた。福岡工大城東(旧福岡工大付)や甲子園出場はまだないが、多くの投手をプロや社会人に送り込んでいる沖学園なども気になる存在だ。
南部地区には久留米商、柳川といった伝統のある強豪も揃っている。久留米商は市立校で第1回大会にも出場している伝統校だ。62年夏には伊藤久敏投手で準優勝。83年夏にもベスト4に進出している。柳川は、かつて柳川商時代から春夏8回ずつ甲子園出場を果たしている。甲子園通算では13勝16敗で、ベスト8にも3回進出を果たしている。
九州産業大の系列校の2校も、それぞれ健闘している。九産大九州は、64年に創立し、15年夏を含めて、春1回夏2回の出場実績がある。また、九産大九産は筑紫野市にあるが、日本電波工から南福岡工などの校名変更を経て、67年に九産大の付属校となった。当初は九州産業としていたが、現在は九産大九産で定着している。77年夏に甲子園出場を果たしている。15年秋季県大会では優勝を果たし九州大会に進出。初戦は突破したものの、準々決勝では鹿児島実に敗れてセンバツを逃した。
筑陽学園も03年夏に甲子園初出場を果たしている。かつては筑陽女子から大宰府との統合で共学の現校名となった。巨人の長野久義の出身校だが、長野のいた日大の東都連盟の強豪校など、関東有力校で活躍する選手も多い。また、東海大五から東海大本部の指令により校名変更した東海大福岡も新校名になって17年春に32年ぶりの出場を果たし、清宮 幸太郎(日本ハム)のいた早稲田実業を下すなどして注目を浴びた。
【次のページ】 筆頭格・九州国際大付に急成長・東筑のいる北部地区
コメントを投稿する