目次

[1]甲子園で実績を残す鳥取西とそのライバルの米子東
[2]鳥取県のレベルを上げた倉吉北と近年突出してきた鳥取城北

甲子園で実績を残す鳥取西とそのライバルの米子東



高校野球の歴史を作った学校である鳥取西

 100年を超える歴史となった高校野球の記録だが、その記念すべき第1球は鳥取の選手によって投じられている。第1回全国中等学校野球優勝大会の開幕試合で広島中(現:広島国泰寺)と対戦したのが鳥取中(鳥取一中→現:鳥取西)だった。後攻の鳥取中・鹿田一郎投手が投げたことで、高校野球の歴史が始まったのだ。
 そういう意味では、その強弱に関係なく、鳥取県が高校野球に果たした役割と位置づけは大きいといえる。そして、この鳥取中は鳥取西と名前を変えた今でも、県内では強豪校であり続けると共に、県内屈指の進学校という立場もしっかり維持している。つまり、文武両道の伝統を維持し続けている県内屈指の名門校なのである。

 鳥取西が甲子園では決定的な記録がないのは、比較的雪が多く気候も不安定な山陰地区という地域的なハンデがあり、仕方がない部分もあるだろう。それに、人口も少なくやはり中央からは少し離れているという要素は、いろいろな部分に表れるのも文化活動の常である。それでも、鳥取西が立派なのは春4回、夏23回の出場で通算52試合を甲子園で戦い、25勝27敗とほぼ勝率5割を維持していることだ。これは見事な成績だ。そんなところにも、高校野球の歴史を作った学校という立場をしっかりと維持しているといってもいいのではないだろうか。
 ただし、このところ若干低迷しているようなので、そのあたりはオールドファンたちも歯がゆい思いをしているようだ。

 その鳥取西のライバル校が米子東である。地元では「ベイトウ」の名で親しまれている。米子東は米子中時代に6回、そして戦後になって米子東として60年春には準優勝を果たしている。しかも、決勝戦は高松商にサヨナラ負けを喫するが、1点を争う試合だった。これも、鳥取県としては輝かしい歴史でもあろう。
 鳥取西のエンジに対して米子東の緑が鳥取県のライバルのコントラストにもなっている。通算出場回数は鳥取西が多いが、準優勝という一つの歴史は米子東の誇りだ。また、鳥取西が鳥取一中だったのに対して、米子東は前身としては鳥取二中として存在していたという歴史がある。そんな背景もあって、この両校のライバル的な意味はより強いといえるのではないだろうか。