富山と高岡の商業校対決の構図は続くが、私学の第一対決の新構図も【富山・2018年度版】
富山と高岡の商業校対決の構図は続くが、私学の第一対決の新構図も
今年のセンバツで好投を見せた沢田龍太(富山商)
富山商と高岡商の伝統の両商業校対決という構図。これは富山県の高校野球の特徴的な図式として、戦前の1930年代から続いているものである。いずれも地元密着型の古い公立商業で県内では人気の両校でもある。その対決は、“富山県の早慶戦”とも称せられるくらいだ。事実、白にエンジの高岡商カラーはまさに早稲田型であり、これに対してかつては濃紺に肩口に太いラインの入っていた富山商のユニホームは慶應型だった。もっとも、富山商はその後にデザイン変更されて、現在はブロック体文字で立て襟のついたものとなっている。
いずれにしても、富山県に野球が伝えられた際に、高岡商は早稲田、富山商は慶應が始動したという背景があった。とはいえ、両校の野球はどちらも公立商業だということもあって、スタイルは似ている。しいて言えば、富山商は本格派の好投手が多く輩出され、高岡商は技巧派の好投手という印象である。
また、商業高校の宿命として女子生徒が多くなる。そんな中で、伝統を維持して、県内をリードし続けてきているということは、OB含めて、周囲の関係者の努力や尽力もあるということであろう。
しかし、この富山県を代表する両市の商業校に台頭する存在として、それぞれ第一と名乗る私学が躍進してきた。富山第一と高岡第一である。甲子園出場は高岡第一が早く1981(昭和56)年夏に初出場を果たし、2000(平成12)年春には、北信越の補欠校ながら代替え出場を果たしている。
甲子園出場では後れをとった富山第一だったが、13年夏に悲願の初出場を果たすと、初戦で秋田商を下して、3回戦では木更津総合に8対0で快勝するなどでベスト8に進出。胸に大きく目立つ赤で「1」が入り、それが「Ichiko」の「I」とかけて「TOYAMA」の文字と2段重ねたデザインのユニホームもインパクトがあった。
[page_break:過去の富山県勢の甲子園での記録]蜃気楼旋風を巻き起こした魚津ナイン
過去の富山県勢の甲子園での記録
北信越勢として唯一、甲子園での決勝進出も果たしていない富山県勢である。しかし、そんな富山県勢が甲子園の大会史上最初の延長18回引き分け再試合適用第1号となったことで一気に知られたことがあった。1958(昭和33)年夏で魚津が強豪徳島商に食い下がって大健闘した、0対0の今もなお語り続けられているあの試合である。徳島商の豪腕・板東英二(中日)に対して、技巧派の村椿輝雄投手との投げ合いだった。
甲子園の判官贔屓のファンの共感も得て、再試合で負けはしたが、魚津は蜃気楼旋風といわれ話題になった。
魚津以降にも富山県勢が脚光を浴びたことがあった。それが、86年春に新湊が1回戦では16個もの三振を奪われながらも、近藤真一(中日)を擁する享栄などを破ってベスト4に残った時である。決して体は大きくはないが、バットを短く持って、バチンと前で合わせるバッティングは、非力な選手たちにとっては、こうすれば力が上の相手にでも何とかなるということを示したといってもいいお手本のような戦いぶりでもあった。新湊は11年夏にも甲子園出場し、15年夏も富山大会準決勝まで進出して健在ぶりを示している。
他には、12年に初出場を果たした富山工や砺波工なども健闘している。15年現在47校が登録されているが、09年夏に南砺福野が出場を果たした実績もあるように、勢いに乗ればいずこにも甲子園出場のチャンスはなくはないともいえる地区である。
17年秋季県大会では富山国際大附が準優勝して、新たな台頭勢力であることを示している。
とはいうものの、17年は春夏ともに高岡商が出場。秋季県大会は富山商が優勝するなど、伝統の公立商がその力を維持しているのは素晴らしい。
(文:手束 仁)