目次

[1]不利な環境の中で輝いた新発田農
[2]公立勢に追いついた私立勢と日本文理の活躍

不利な環境の中で輝いた新発田農



新発田農高校

 長い期間、新潟県は高校野球の甲子園での実績ということで言えば下位に低迷している。甲子園での春夏の勝利数ということだけで言えば、昨夏の第99回大会終了時点で31勝(69敗)というのは、全国47番目の最下位である。46位の富山県が33勝で、まだ2勝の差がある。いずれにしても北信越勢が下位となっている。
 しかし、大会で上位に残った実績ということで言えば2009(平成21)年の夏に日本文理が準優勝を果たしたことで、キラリと光ることになる。そして、この準優勝以来、新潟県の高校野球そのものが大きく変わったことは確かだ。

 新潟県は日本でも一、二を争う豪雪地帯である。野球の実戦練習ということに関していえばそのハンディキャップはどうしようもない。早いときには11月下旬から雪に閉ざされ、グラウンドが完全に使用出来るようになるには4月中旬まで待たねばならない。それだけでも、非常に不利な条件であるということになる。

 だから、県内の高校も圧倒的な勢力を誇ってリーダーシップをとっていくというような学校が長らく存在しなかった。
 歴史を追ってみると、戦前は長岡中と新潟商が全国へ進出を果たしている。そして、鳴尾球場時代の1920(大正9)年と23年に長岡中と新潟商がそれぞれ初勝利を記録している。甲子園でも26年夏に新潟商が勝利を記録している。しかし、以降は甲子園出場そのものが、58年春夏の新潟商まで途切れることになる。

 戦後初勝利は61年夏の新発田農まで待つことになる。その後は、新潟商長岡商糸魚川商工(現糸魚川白嶺)などが出場を果たし、長岡も復活する。

 その頃にインパクトを残したのは新発田農だ。農業高校は、生徒集めでも苦労するというのも正直なところだが、1979(昭和55)年に19年振りに甲子園に出場して以来、翌年もベスト16に進出するなどして、その試合ぶりは甲子園ファンの人気を得た。ことに1回戦で延長の末、広島商を下したことによって「新潟に新発田農あり」と注目されるようになった。この時代の新発田農は確かに県内を引っ張る存在となっていたであろう。
 緑のアンダーシャツと帽子に農業の「Agriculture 」の「A」が印象的だった。そんなところに農業高校としての自負も感じられた。