目次

[1]横浜と東海大相模の2強
[2]桐光学園、慶応義塾による4強に食い込む実力校
[3]伝統校の存在とダークホースによる激戦必至

横浜と東海大相模の2強


 エース松坂 大輔(西武→MLB→ソフトバンク→中日)らを擁して横浜が春夏連覇を果たしたのが1998(平成10)年だった。当時の横浜は、現在の高校野球においては攻守で作り上げられる範囲の最高のものを作り上げたとも言われていたくらい強力で完成度が高かった。選手の素材の確かさの上に練習の質の高さという足し算を重ねていったことによって完成させた、名将渡辺元智監督の一つの最高傑作とも言えよう。

 もっとも、強い横浜はそれだけではない。横浜の甲子園の歴史は江川で沸いた1973(昭和48)年春の優勝から輝き始める。さらには、愛甲猛投手(ロッテ→中日)の80年夏の全国優勝で一つの頂上にたどり着く。この年のチームも史上最強チームの候補に入れても不思議はない。負けないチームだった。

 

  さらに、03年春には成瀬善久投手(ロッテ→ヤクルト)を中心としてまとまりのいいチームで準優勝を果たし、スター選手不在でも勝てるチーム力の高さを示した。その翌年も涌井 秀章投手(西武→ロッテ)や石川 雄洋(横浜・DeNA)らでベスト8に進出している。横浜を倒した駒大苫小牧はそのまま全国制覇を果たしている。

 

 「神奈川を制するものは全国を制す」というのは、しばしば高校野球で神奈川県の質の高さを表現する言葉として用いられた。ただ、厳密にいうと、「神奈川を倒せば全国制覇に至る」と言うことになるのかもしれない。

 県内でその横浜の最大のライバルとなっていっているのが東海大相模だ。神奈川は60年代後半に武相が一時代を作っていたが、新鋭の東海大相模に福岡県の三池工で初出場初優勝の快挙を果たした原貢監督が就任する。これが、東海大相模の第1次黄金時代の始まりとなる。打撃優先のチーム作りは驚異的だったが、大胆な守備陣形なども含めて、完全に大人のチームという感じだった。

 70年夏に初優勝を果たすと、75年春は原 辰徳(読売前監督)、津末英明(日本ハム→読売など)らの強打者を擁して準優勝。しかし、その後はやや低迷に陥る。それでも、92年春に準優勝するなど存在感は示している。春は2000(平成12)年にも全国制覇を果たすものの、夏の甲子園はなかなか縁がなかった。

 

 そんな折に2010(平成22)年に悲願の春夏連続出場を果たすと夏は準優勝。さらに、翌春も全国制覇するなど完全に第2次黄金時代を形成。そして15年夏には小笠原 慎之介投手(中日)で全国制覇を果たした。東海大相模は、17年秋季県大会も制して関東地区大会に進出。関東大会ではエースを故障で欠きながらもベスト4に進出し、7年ぶり10回目となる翌春のセンバツ出場も果たしており、層の暑さも示した。
 こうして神奈川県は完全2強時代となっていった。