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- 柳ヶ浦、明豊などが台頭して新時代到来となり大分商など古豪は…(大分)
第36回 柳ヶ浦、明豊などが台頭して新時代到来となり大分商など古豪は…(大分)2016年12月18日

【目次】
[1]津久見、大分商が歴史を作ってきた大分県
[2]明豊、柳ヶ浦などの私学勢の台頭も見逃せない
明豊、柳ヶ浦などの私学勢の台頭も見逃せない

明豊
城島 健司の出身校・明豊は元々は別府大附属だったのだが、新校名の明豊として01年夏の甲子園に悲願の初出場するといきなりベスト8に進出した。その明豊や藤蔭よりも大分県の私立校として先に全国的に知られているのは宇佐市にある柳ヶ浦だ。
学校そのものは裁縫女子校としての歴史があって明治年間に設立している。柳ヶ浦に野球部ができたのは昭和も半ばを過ぎて共学となった年である。頭角を現してきたのは1969(昭和44)年に大悟法 久志監督が就任してからだ。九州勢が大活躍した94年には鹿児島県の樟南に敗れはしたものの、ベスト4まで進出して大いに存在感を示した。
その後、藤久保 茂己監督に引き継がれるが、このところは大分県の一番手的な存在となっている。タテジマの「Yanako」と表記されたユニホームとスケールの大きな野球はすっかり柳ヶ浦のカラーとなっている。また、大分桜ヶ丘から校名変更した楊志館も07年に甲子園出場して、実力校ぶりを示した。
しかし、このところは明豊を筆頭として、柳ヶ浦に13年夏に16年ぶりに復活を果たした大分商、15年秋季県大会を制した臼杵、16年春季大会を制した大分と、大会ごとに入れ替わるような状況が続いている。さらには、大分工や佐伯鶴城など、かつて実績を挙げていた学校なども入り乱れて、ある程度の強化をしている学校であればほぼ横一線という状態が続いている。新鋭の情報科学や、12年夏に甲子園出場している杵築なども、機があれば上位進出は可能だ。こうして、ここ数年の大分県は、明豊と柳ヶ浦が絶対的な存在ではなくなってきて、まさに群雄割拠状態となっている。
気候も温暖で、どちらかというとのんびりした感じに思われる大分県。しかし、別府温泉という観光名所があることはあるものの、近辺には阿蘇山のある熊本や、かつての新婚旅行のメッカでもあり観光ということでは一枚上の宮崎を控え、産業や文明の点では福岡にリードされているということもあり、どこかで二番手に甘んじなければならないという状況。そんなところが、何となく高校野球の勢力構図にも表れているのかもしれない。
(文:手束 仁)
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