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高校野球を彩った名選手たちを振り返る!【前編】(1950年代~1990年代前半)

2018.12.28

 100回大会は大阪桐蔭の史上初となる2度目の春・夏連覇の金字塔で締めくくられた。2019年、高校野球は次の100年に向けて新たな一歩を踏み出す。ここで改めて高校野球の歴史を名選手の活躍と共に振り返ろう。

投手として活躍した世界の王貞治と親子鷹で話題をさらった原辰徳


王貞治(左)と原辰徳(右)(写真=共同通信)

 まず見ていきたいスター選手は、世界のホームラン王と語り継がれる王貞治

 早稲田実業に入学した王は、1年生の夏に初めて甲子園に出場する。すると2年生の春・夏、さらには3年生の春も甲子園に出場。
 当時は投手として活躍していた王は、2年生の春の甲子園では3試合連続完封を挙げるなど好投し、全国制覇。さらに2年生の夏には寝屋川との試合で、延長11回を投げてノーヒットノーラン達成という偉業を果たしている。

 ここまで投手として大きな実績を残した王であったが、最後の夏は東京都大会の決勝で明治に敗れ、甲子園を逃して高校野球を終えている。

 そして早稲田実業を卒業後、巨人に入団すると打者として活躍。868本塁打という大記録を樹立し、「世界のホームラン王」と呼ばれるまでになった。彼が背負った背番号1は永久欠番として功績が称されている。

 選手として第一線を退いた後も、監督として巨人とダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)の指揮を執り日本一を経験。さらには日本代表の監督として、第1回WBCでチームを世界一に導いたのであった。

 そして同じく巨人、日本代表の監督として実績を残したのが17187である。

 来シーズンから、三度目の巨人軍監督に就任しその手腕に注目が集まる原氏は、王貞治が高校野球を引退してから20年ほど経過した1974年に東海大相模に入学。1年生ながら中軸を任される期待値の高さ、そしてルックスの良さで注目された。さらに当時の監督・原貢との親子鷹としても注目を浴びた。

 原を擁する東海大相模は夏の甲子園に出場し、松商学園や三重三重を破ったが、準々決勝で上尾に敗れベスト8止まり。原の高校野球最初の夏は幕を閉じた。

 その後3年連続で甲子園出場するも、優勝を果たすことはできなかった。卒業後、原は東海大学に進学。大学野球でも活躍を見せ、巨人に入団。15年間現役としてプレーし、監督としても正力松太郎賞など数々の賞を受賞するなど輝かしい成績を残した。

[page_break:ラッキーゾーンと敬遠が松井秀喜をスターへ押し上げた]

ラッキーゾーンと敬遠が松井秀喜をスターへ押し上げた


当時はサードを守っていた松井秀喜(写真=手束仁)

 王、原と名選手が高校野球界を賑わせたが、同じく高校野球界を沸かせて巨人でスター選手として活躍した選手といえば、ゴジラこと松井秀喜を忘れてはならない。

 

 そんな松井は1990年に石川の星稜に入学。当時からそのバッティングが注目され、1年生ながら4番に座る。この年の星稜は甲子園出場を果たすものの、1回戦で姿を消すこととなる。だが翌年の91年夏の甲子園に出場してベスト4進出。全国でも結果を残しつつあった。

 そんな松井が世間から怪物と注目を浴び始めたのが、最後の1年となった1992年のことであった。
 この春の甲子園から外野にあったラッキーゾーンが撤廃されたことを受け、ホームラン数は減るのではないか、と目されていた。そんな推測が飛び交う中、大会初日の沖縄宮古との初戦に登場した松井は、2打席連続ホームランを放って観衆の度肝を抜いた。

 その後も活躍を続けた松井は大会タイ記録の7打点をマークし、ベスト8進出に大きく貢献。その怪物ぶりを世間に知らしめ、最後の夏が注目されていた。

 だが最後の夏、松井を待ち受けていたのは今もなお語り継がれる5打席連続敬遠だった。

 明徳義塾の名将・馬渕史郎が、松井の高い実力を警戒し、徹底マーク。それが5打席連続での敬遠に繋がった。
 この問題は高等学校野球連盟が緊急で記者会見を開くほどの大きな問題に発展したが、裏を返せば松井という男の実力の高さが際立ったとも捉えることができる。

 ラッキーゾーンの撤廃後の第1号ホームラン、そして5打席連続。松井は高校最後の1年、人々の記憶に残るプレーを見せ、巨人にドラフト1位入団を果たした。

 その後は記憶にも新しいワールドシリーズMVP、国民栄誉賞受賞など日本野球界が誇る名選手と成長していった。その原点にはラッキーゾーンと敬遠があったと言っても過言ではない。

[page_break:イチローの高い向上心は高校時代から]

イチローの高い向上心は高校時代から


高校時代からの高い志が日米通算3000本安打に繋がった(写真=共同通信)

 そんな松井より一学年歳上、今もなお現役を続け、メジャーリーガーからも「レジェンド」と尊敬のまなざしで見つめられる選手も見逃すわけにはいかない。イチローこと、鈴木一朗である。

 イチローは愛工大名電高2年夏に甲子園初出場。初戦で奈良の天理と対戦するが、1対6で敗戦し、イチロー自身もヒット1本に終わった。新チーム結成後はエースとしてチームを牽引。チームは東海大会の決勝で東邦との乱打戦で敗れたものの、春の選抜の切符を掴み取った。

 イチローが3年生となり、迎えた春の選抜。当時のイチローは「センター前ヒットならいつでも打てます」と豪語するほどの自信を持っていたが、初戦の松商学園戦でノーヒット。チームも敗れまたも結果を残すことができなかった。

 そして最後の夏は愛知県大会の決勝で東邦に敗れ、3季連続での甲子園出場とはならなかった。

 しかしそこで驚くべきなのは、試合後のイチローの立ち振る舞いである。
 イチローは涙にくれるチームメイトを尻目に、淡々と荷物を整理して球場を去ったという。その後はプロ野球入りを想定して淡々と準備を始めていたのだ。

 こうしたところからも、当時から高い意識や目標を持って日々を過ごすという、イチローの絶え間ない向上心が垣間見える。その心こそが、日米通算3,000安打という大記録を達成する原動力となったことは間違いない。

 前編はここまで。後編では平成の怪物、さらにはハンカチ王子と今も球界を沸かせる名選手たちの高校時代を振り返ります!後編もお楽しみに!

文=編集部

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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