第29回 多くの球児のプレーを支え続けた道具の進化の裏にある「ええもんつくんなはれや」の精神2018年12月28日
【目次】
[1]解禁した金属バットの使用
[2]追いついたスパイク・ウエアの進化
[3]Vコング02などこれからも名器を生み出し続ける
大阪桐蔭が史上初2度目の春・夏連覇を成し遂げた100回大会など、2018年の高校野球界は非常に注目度の高い1年となった。来年はどんな1年となるのか楽しみだが、ここで改めて、球児が当たり前のように使っている道具が、これまでにどのような進化を遂げたのか振り返ってみたい。
今回は野球とともに歩み続けるミズノの道具を見ていきたい。
解禁した金属バットの使用

ミズノが初めて販売した金属バット『ダイナフレックス』
まず高校野球界で大きな変革をもたらしたのは1974年。この年、金属バットの使用が解禁された。それまでは練習はもちろん、試合の時も木製バットしか使うことができなかった。
しかし芯を外して打った場合、木製バットは折れことが多い。木製バットにとっての最大のデメリットが問題視されたことで、金属バットを導入するようになったというのが背景にある。
その中で、ミズノは金属バット『ダイナフレックス』の販売を始めた。
『ダイナフレックス』とは、振りやすさを追求したバットであり、インナーバランス構造を採用したことで、理想を形にした。
今では当たり前のように金属バットを使っているが、1974年以前までは木製バットしか使えなかった。そのことから考えれば大きな変革であったに違いない。
木製バットから金属バットへ、バットがいち早く大幅に変更された1970年代。この変化を追いかけるように1980年代後半はグローブに変革が起きた。

昔のグローブは今よりも平らに近かった
この時、ミズノの中でグローブのコンセプトとして「手の平の形をグラブに再現すること」を掲げていたのだ。
それまでは少し平らに近い形をしていたグローブだったが、この時期を境に今のグローブの形に少しずつ近づいてきた。
グローブで変化が起きている間、バットはまた新たなステージに突入した。
ミズノから新たに発売されたバットは、現在も使用されているような先端にキャップをつけた金属バットに変わったのだ。
以前までは、根本からバットの先端までが一体化された金属バットだったが、1991年からバットの音響規制が導入されるようになったことで、音響対策の一環として、先端にキャップを付けたのだ。今では先端にキャップがついていることは当たり前になっているが、こういった背景があった。
また軽量バットが主流となってきた影響で、各社の間で軽量バットの競い合いもこの1990年代には発生していた。
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