Column

激動の時代に親子鷹で話題となった原辰徳の高校時代

2018.08.18

野球スタイルが変化した原辰徳高校1年の夏


東海大相模時代の原 辰徳選手(写真=共同通信社)

 高校野球で金属バットが導入されるようになったのが1974(昭和49)年の第56回大会からだった。この年の甲子園は34代表で争われることになったが、初出場校が13校、2回目の出場も6校という非常にフレッシュな印象を受ける大会となった。
 その背景には金属バットの導入によって、少なからず野球のスタイルが変わってきたということもあったかもしれない。

 とは言うものの、地区大会などでは、公立校の多くは、部費などの予算の関係もあって、即金属バットに移行ということにもならなかったところも少なくない。チームで数本しかない金属バットをみんなが奪い合って打ち出の小槌に頼るかのように祈りを込めて安打を託すということもあった。

 時代は『日本列島改造論』の田中角栄首相が3年目となっていた。その、一方で前年秋にいわゆるオイルショックが起きていた。さらには米ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失墜し、秋には日本でも田中角栄首相の金権政治に批判が集まり、やがて辞任に追い込まれるという、国の内外で政治が激動している時代でもあった。
 高度成長がピークに達し、便乗値上げが相次ぎ狂乱物価の末に、経済的にはゼロ成長の時代となっていったのである。

 甲子園では前年に作新学院の怪物江川卓ブームがあったが、2年生ながらその江川と延長12回を投げ合い勝利した土屋正勝がエースとして登場した銚子商が安定した戦いぶりで優勝を果たす。2年生の4番篠塚利夫は木製バットで左打者ながらレフトへ本塁打するなどの打撃技術で満場を唸らせていた。

 そして、話題としては1年生ながら強打東海大相模の中軸を任されていた17187が登場して、そのスマートなルックスとともに人気を集めていた。東海大相模は原貢監督と辰徳選手との親子鷹も話題になっていた。東海大相模は大胆な守備体型と強力打線で4年前に全国制覇を果たしている。

 この大会の東海大相模は初戦で、土浦日大に1点負けている場面の9回二死一塁から大胆にも二塁盗塁を決め、その後タイムリーが出て同点とし、延長16回の末に勝利。さらに盈進は力でねじ伏せてきた東海大相模
 準々決勝では鹿児島実と対戦。鹿児島実定岡正二(巨人)がいて守りのチームだったが、試合は激しくもつれ合って延長15回、鹿児島実が3時間38分の試合を制した。敗れたものの原はこの試合、3安打で2打点を記録している。

 原たちが2年生となった東海大相模はその年の夏も甲子園出場を果たす。春のセンバツでは杉村繁(ヤクルト)のいた高知に敗れはしたものの準優勝を果たしており、この夏は優勝候補の一角だった。大会では、土佐玉川寿が26年ぶりとなるサイクル安打を記録して話題になっていた。

 東海大相模松商学園三重を下して準々決勝まで進んで上尾との一戦。上尾は、名将野本喜一郎監督が手塩にかけて作り上げたチームで、今太中村昭のバッテリーも注目されていた。初戦で小倉南に0対4からの逆転勝ち、3回戦では土佐に競り勝っていき勢いに乗っていた。
 事実上の優勝戦かとも言われたこの試合、上尾が追いかける展開となり東海大相模に逆転勝ちしている。ベスト4には上尾のほか新居浜商広島商習志野が残ったがすべて公立校だった。最終的には、エースの小川淳司(ヤクルト、現監督)の習志野が優勝を果たす。


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[page_break:優勝候補として3年連続出場を果たすも・・・]

優勝候補として3年連続出場を果たすも・・・


ミズノが当時販売していた初の金属バット・ダイナフレックス

 原のいた東海大相模は翌年夏も甲子園に姿を現し3年連続出場を果たす。ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕されるという年でもあった。世間では今でも高校野球の応援テーマとして用いられることもあるピンク・レディーが人気を得ていた。

 甲子園の話題は投の怪物として長崎海星の酒井圭一(ヤクルト)、打の怪物としては東海大相模の原辰徳が人気だった。それに、圧倒的な力でセンバツ優勝を果たしていた崇徳黒田慎二(ヤクルト)の完成度の高い投球が注目されていた。

 その長崎海星と崇徳が3回戦でぶつかり、息を飲む投手戦の末に長崎海星の酒井が投げ勝った。東海大相模は初戦では釧路江南に快勝したものの、2回戦ではセンバツ準優勝校でもあった小山の黒田光弘投手にわずか3安打に抑えられて敗退。
 前評判の高かった学校が前半で姿を消していく中で、長崎海星はベスト4に進出したものの、準決勝でこの頃から躍進し始めたPL学園に2対3で屈して姿を消す。さらに、2年生ながら速球王と言われた小松辰雄(中日)を擁して快進撃を続けてきていた星稜も初出場の桜美林に敗れる。

 第2回大会(1916年)以来の60年ぶり東京大阪対決となった桜美林PL学園の決勝は、7回に桜美林が追いついて3対3のまま延長となる。
 そして11回、7回に代打で登場して同点劇の口火を切った菊池太陽がサヨナラの二塁打を放って初出場初優勝をもたらした。勝利校校歌で、「イエス、イエス、イエスと叫ぼうよ」というラストのサビのフレーズが甲子園に響き渡ったのも妙にフレッシュだった。

 なお、優勝投手の松本吉啓は、その後明治大へ進んでも優勝投手となり、指導者として埼玉栄千葉経済大附を甲子園に導いている。

 PL学園はこの2年後に初優勝を果たし、以後80年代の黄金時代へと繋がっていく伏線にもなる。アルプススタンドでは、ピンク・レディーの『サウスポー』を奏でるブラスバンドも多かった。

 70年代の用具を見てみると、大きな変化があったことは冒頭にも書いてきた。それは木製バットから金属バットに変わったことである。この変化が起きたのはハッキリとした背景が隠されている。

 それはバットが折れるということである。木製バットは芯を外せば自身の手への痛みはあるのはもちろん、バットの根本や先にボールが当たれば折れることが当然ある。この木製バットの一番のデメリットととも考えられる問題を解決するために、ミズノでは1974年から金属バットを始めたのだった。

 1970年代に出したミズノ初めての金属バットは、ダイナフレックスと呼ばれるバットである。大きな特徴は、インナーバランスと呼ばれる構造を採用しており、振りやすさを追求していったところにある。

 王貞治の1950年代から20年経った原辰徳の1970年代で、木製バットから金属バットへの大きな変化がやってきた高校野球界。しかし、これはまだほんの序章にしか過ぎない。用具の機能はここから急成長を遂げていく。その成長点は1990年代に待っていた。

文=手束仁


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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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