目次
恩師が語るヒーローの高校時代

[1]投手として巨(なお)に教えることはほとんどなかった / 備わっていた「名投手」の条件
[2]ある練習試合での「叱責」を経て / 「延長11回」死闘の裏で
[3]「NPB投手」東浜 巨へのエール

 東浜 巨の代名詞と言えるのが、アウトローいっぱいに決まるストレート。それにスライダーや打たせてとるツーシームなどが絡まってくる。が、比嘉 公也監督に言わせれば「そのツーシームだって投げさせれば最初から投げることが出来ただろう」と語る。

さらに凄かったのは投手ばかりではない。
「内野をさせても上手かった。このまま内野手としても十分いけるのではないかなと思いましたもん」

 興南高校の我喜屋 優監督(関連コラム)も重要視する、一流ピッチャーのスキルのひとつであるのがフィールディング。往年の名投手である桑田 真澄2013年インタビュー氏に近いものが、東浜 巨にも備わっていた。そんな完璧なピッチャーと思われる東浜だが、実は比嘉監督にしか知り得ない練習試合のエピソードもあった……。

ある練習試合での「叱責」を経て

東浜 巨選手(福岡ソフトバンクホークス)

「ストレートで空振りや見逃しを奪ったときは何もしないのですが、甘く入って打たれたときにキャッチャーと『今のちょっと高かった?』というような仕草を見せていました。何かこう、打たれたことに対して言い訳じみた、正当化するようなことがありましたね」

 ここで比嘉監督はすかさず東浜を呼ぶ。
「あたかも『今のはホントの自分の球じゃなかった、本気の球ではなかった』というような言い訳を、仕草で見せることはダメだと叱りました」

 甘く入ってしまったのは投げた自分の責任だし、投げた本人が一番分かっていること。それを言い訳にするような一つの仕草も、見逃さなかった比嘉監督。その叱責は彼の心中で「責任感」として刻まれていく。

「延長11回」死闘の裏で

「思い出に残るのは、準決勝の浦添商業さんと一戦での脱水症状ですね」(比嘉監督)。
2007年夏の沖縄大会。2年生の東浜 巨は既にチームのエースでもあった。甲子園まであと二つと迫った準決勝の舞台。沖縄尚学の前に立ちはだかったのが浦添商。エースは東浜と並び沖縄県屈指の右腕と称されていた伊波 翔悟(現:沖縄電力)である。

 試合は7回を終えて2対2の同点と緊迫。ベンチの裏には塩分や黒糖は用意されていたが、東浜は余りにも試合のピッチングに気を取られ過ぎていたのだろう。本人の後日談いわく「水だけしか摂っていなかった」ことと、うだるような暑さで体が悲鳴を上げる。走者を送るためにバントをした東浜は、その直後に両足が攣り、グラウンドに倒れてしまった。

 「倒れた巨は、救急車で運ばれ病院へ。点滴を打った後『ドクターから家で安静にしておきなさい』と言われたのですが……」(比嘉監督)

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