3月に行われるWBCの日本代表に選出された高橋 奎二(ヤクルト)。右足を大きく上げるダイナミックなフォームが特徴的な左腕で、昨年には8勝を挙げてチームのリーグ連覇に貢献した。また、プライベートでは元AKB48で歌手の板野友美と2021年1月に結婚したことでも知られている。

 高校時代は京都の名門・龍谷大平安で主戦投手として活躍。2年春には甲子園で優勝も経験している。今回は当時の高橋を知る原田英彦監督に取材を行い、これまでのサクセスストーリーを語ってもらった。

英語訳の抜粋記事はこちらから
WBC Keiji Takahashi's mentor thanks Yakult manager Takatsu for his generous support.

入学当初は普通の投球フォームだった



高橋奎二投手(ヤクルト)

 原田監督が高橋を初めて見たのは中学3年生の時。当時の高橋は亀岡市立東輝中の軟式野球部に所属していた。

 投げている姿をそこまで見たわけではなかったが、「自分で打って、走ってというタイプで、楽しそうに野球をする子だというのが第一印象でした。平安に入りたい意思があったと思うんですよね。だから、僕が見て、『その代わり、覚悟して来いよ』と言ったのを覚えています」と振り返る。

 そして、縁あって龍谷大平安に入学。「体の線が細かったです。ただ、バッティングに関してもそうですし、リズム感があって、センスがあるなと思いました」というのが入学時の評価だった。

 入学当初は今のようなフォームではなく、普通のフォームだったという。変化のきっかけは指の怪我でボールを投げられなかった数ヶ月にあった。

「その間に柔軟性を自分で磨いてきたんです。体がすごく柔らかくなって、いつの間にか足が顔の辺りまで上がるようになっていました。その辺りから体の使い方がすごく変わってきましたね」

 龍谷大平安といえば、アップで柔軟性を鍛えることで知られているが、高橋はそれによって成長した代表例だ。成長の裏には高橋自身の性格もあったと原田監督は語る。

「基本的に彼の場合は非常に明るい。それと素直さ。嫌な顔をしたのは見たことないです。ここが伸びる一番の要素ですよね」

 厳しい練習にも前向きに取り組める。それが高橋の強みだった。その性格は試合面でも強さを発揮されたという。

「やっぱり、ここという大きな試合に強いですよ。これは彼の持っている性格です。乗りやすい性格。僕らも近畿大会から乗せました。ブルペンでピッチングしている時も『奎二、かっこええな!』と言って送り出したんですけど、そこにグッと乗っかってくるんですよね。これは天性の明るさと心の強さがあったと思います」

 1年秋の京都大会ではベンチ外だったが、同期で当時の主戦だった元氏 玲仁が怪我をしたこともあり、原田監督は急遽、近畿大会で高橋を先発に抜擢。1回戦の近江戦で8回3分の2を無失点に抑えると、その後も好投を続けて優勝に大きく貢献した。

 翌春の甲子園でも投手陣の一角としてフル回転。センバツ初優勝の原動力となった。「甲子園でも楽しいと言って投げていました」と原田監督が言うように乗りやすい性格が大舞台で強みを発揮する要因になったようだ。

 また、原田監督は選手にニックネームをつけることで知られている。その中で高橋は「赤ちゃん」と呼ばれていた。原田監督はその理由をこう語ってくれた。

「幼かったんですよね。フニャフニャしていましたから。ニコニコしていたので、可愛さ半分ですよ。最初は怪我をしていたこともあったので、『本当に赤ん坊やな』と言って、そんな思いで赤ちゃんとニックネームをつけました」