目次

[1]ラオウ」誕生への胎動
[2]「ラオウを見て野球をする」存在になってほしい

 「わがスイングに一片の悔いなし」。このフレーズと「昇天ポーズ」が2021年、京セラドーム大阪を発信源に全国で吹き荒れた。

 今日本シリーズで、ヤクルトと戦うオリックスの「ラオウ」こと、4番・杉本 裕太郎外野手の高校時代はどうだったのか?

 当時の徳島商監督であり、現在は母校・県立池田を率いる井上力監督に彼の「夜明け前」を語ってもらった。

 ポテンシャルは「これまでで一番」だったという。

 井上監督 杉本 裕太郎をはじめて見たのは阿南市立阿南中の時。大会でのプレーでした。当時はエースでしたし、大きいのに足も速いし動ける。ポテンシャルがあって当時の徳島商にとっては喉から手が出るほど欲しい選手でした。

 杉本は徳島商の門をたたくことになる。

 井上監督 縁があって徳島商に進んでくれ、1年夏の徳島大会ではベンチ入り。その時も大会で登板してチームは甲子園に行きました(2007年・第89回大会)。甲子園でも登板機会はなかったんですが「彼が中心になって3年間やってほしい」という思いも込めて、背番号16を付けてベンチ入りしてもらいました。投手としても、打者としても、私がこれまで見てきた選手の中で一番の素材です。

 ただ物足りなさも感じていた。

 井上監督 当時の(杉本)裕太郎にはガツガツ感がなかったんです。先ほど言ったようにポテンシャルは高かったので2年時は4番で外野手兼投手。最高学年ではエース・4番の大黒柱だったんですが、彼の優しさが肝心な試合に出てしまう。高校時代最大の課題でした。

その課題を克服することなく、高校生活は終わる。

 井上監督 最後の夏も3回戦で緒方 悠(現:大阪ガス)くんがエースだった鳴門第一(現:鳴門渦潮)に3対6で負けて甲子園に行ったのは1年夏のみ。「もっと高いレベルでもまれた方がいい」と考えて、青山学院大に送り出したんですが、本気でプロを目指せば高卒プロも十分あった。彼のポテンシャルを引き上げることができなかった点は、私自身の反省でもあります。

「ラオウ」誕生への胎動

 井上監督も「ラオウ」へと変身する予兆は感じていたという。

 井上監督 長距離砲の素質は高校時代からありました。倉敷商(岡山)との練習試合では岡 大海(現:千葉ロッテマリーンズ)から大きなホームランを打ったこともありますし、3年春の四国大会でも明徳義塾戦でバックスクリーンに叩き込んでいます。ただ、この試合は投手としては、先発でアウト1つも取れずノックアウト。ホームランを打ってガッツポーズして戻ってきた時はさすがに怒りましたが(笑)

 投手としての限界を感じて諦めたが、今となれはいい判断だった。

 井上監督 実は投手としては2年秋の四国大会で右肩を痛めたので、それ以降は将来的には投手としては厳しい状況とも感じていました。だから遠回りはしましたが、今年の活躍は「回るべき道」だったんだろうとも思っています。

 杉本の人柄についてもプラスに働いた。

 井上監督 それと彼の周りには高校時代から人が集まってくるんです、愛されキャラでしたし「裕太郎やけん、しょうがないな」も周りが言ってくれるような、おおらかさを彼自身が持っていました。だから今「ラオウ」と言われているのも、人柄のよさを前面に出すことで周りに支えていただいて、そのいい流れを本人がつかみとってくれたからなんでしょうね。