目次

[1]坂本勇人の個性を伸ばした高校3年間
[2]2001安打目に新たな坂本勇人が見られた


 昨年、歴代53人目の2000安打を達成した現代のプロ野球のレジェント・坂本 勇人。球界屈指の遊撃手として東京五輪の内定メンバーにも名を連ねた。絶大な人気を誇る坂本の高校時代はどんな選手だったのか。明秀日立で指揮を執る金沢監督にお話を伺った。

坂本勇人の個性を伸ばした高校3年間



キャッチボールをする坂本勇人(光星学院-読売ジャイアンツ)

 金沢監督が坂本勇人を初めてみたのは中学時代。知人を通じて、練習を伺って坂本のプレーをチェックした。当時から将来的にプロにいける才能があると実感したという。

 「打撃はティーしか見られなかったんですけど、そのティーを見た瞬間やサイドノックを見た時のハンドリングの良さ。それを見て、必ずプロにいくなというのは瞬間で感じたことはよく覚えています」

 そして光星学院に進み、金沢監督はますます坂本の打撃の才能に惹かれる。

 「本当に体の線は細かったんですけど、リストが柔らかく、体には似つかわしくない飛距離がありました。教えたのは、タイミングのとり方は教えただけ。あとは彼の感性に任せました」

 坂本といえば、インコース打ちの上手さだ。インコース時の打率の高さ、インコースに入ったボールを打ち返す映像を見て凄さを実感したファンも多いことだろう。坂本のインコースの対応力の高さを特集したスポーツニュースも見られた。その点について金沢監督は当時からあった癖が生かした事が大きいという。

 「彼の場合、左の肘が空く癖があって、本来であれば、直したほうがいいと見る人がいると思います。私はそれを彼の特徴として捉えて、アッパースイングに近かったので、それを壊さずに指導していたら、たまたま肘が空くことバットを入れられる長所になったのではないかと思います」

  これまでの野球界の定説ならば、矯正されているフォーム。金沢監督は目についた癖を直すのではなく、全体的な動作を見ながら、その選手の長所を活かせる見識の高さがあった。ここに坂本でしかできないオリジナル技術が出来上がった。

 順調に成長を遂げる坂本だが、ある事件が起こる。これは有名となった退部事件だ。2月冬でのこと。金沢監督は坂本の異変に気づく。

 「彼は高校生の時から先を読んだり、大人たちの人間性を見たりすることができる選手。ミーティング時、いつも彼は後ろにいるのですが、私の目の前にいるんですよね。見たら、鼻にピアスをしていたんです」

 本来であれば、怒鳴り散らす場面。だが、金沢監督はなにかあると思い、坂本に帰宅を命じた。坂本を留めるために、金沢監督は動く。

 「私は坂本に特に怒ることなく、部屋に呼んで、「辞める気なのか?」と「はい」と。それで帰させたのですが、彼が飛行機で伊丹に向かっている間。彼の家族や知り合いにお願いをして、『まだこんなところで終わる選手ではない』と説得をお願いしました。そうすると1週間後に彼は戻ってきました」

 こうして周囲の支えもあり、部にとどまった坂本。センバツに出場して、走攻守三拍子揃った大型遊撃手として、評価を上げ、その後も活躍。当時の高校生ドラフト1位で巨人に入団する。

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