目次

[1]2年生の夏が伊藤優輔のターニングポイントとなった
[2]心も体も安定している愛されキャラだった

 新型コロナウイルスの影響で例年通りとはいかなかった野球界。10月に行われたドラフトも例外ではなく、今年は少し特殊な形で開催された。そのドラフトで読売ジャイアンツからドラフト4位指名を受け、プロの扉を開いた男が伊藤 優輔だ。(都立小山台出身)

 都立小山台時代は都立の星と呼ばれ、2年生の秋にはチームを初の甲子園に導く投球を披露し、2014年の選抜に21世紀枠で出場。その後は中央大、三菱パワーを経て150キロを計測するまでに成長を果たし、今秋プロの世界を切り開いた。そんな剛腕はどんな球児だったのか。恩師である福嶋正信監督に話を伺った。


2年生の夏が伊藤優輔のターニングポイントとなった



高校時代の伊藤優輔

 伊藤投手に福嶋監督が出会ったのは都立小山台に入学をしてからのこと。グラウンドが狭い都立小山台は様々な場所を有効に活用して短い時間で練習をすることで有名なチームだ。伊藤投手も他の選手と同じく、入学直後はトレーニングを中心としたメニューに参加させていた。

 そのため、福嶋監督はきちんとプレーをする姿をなかなか見ることが出来なかった。しかし5月、都立小山台が練習試合で佼成学園と対戦をした際、藤田 直毅監督に「凄い投手が入学しましたね」と言われ、初めて中学までの伊藤の実績を知ることとなる。

 「伊藤は一切中学時代までの実績を書かなかったんです。だから全然知らなくて、それを聞いてからブルペンで投げ込むボールを見てAチームに合流させて、遠征にもつれていきました」

 実際に練習試合に登板させても、投げていたボールの質は1年生の段階では高く、福嶋監督の中では夏までに十分戦力になると判断。バント処理など、夏までにやっておくことはあったが、伊藤の高いポテンシャルを発揮し、少しずつ克服していった。

 そして1年生の夏、伊藤はベンチ入りを果たし、公式戦にも登板。チームはベスト8まで進出と、確かな結果を残す。そして新チームがスタートすると、伊藤は先輩たちがいる中でエースとして活躍することとなる。

 福嶋監督の中ではそれだけ伊藤の技量は高いものがあると感じていたが、それ以上に評価するのは性格面だった。

 「中学時代から凄い選手だったので、持っているものは元々凄かったです。けど、それまでの実績を書かないような謙虚さだったり、歩く姿勢や授業態度だったりを見ても人として立派でした。だから、周りの生徒や先生方に尊敬され、愛されて支えられて成長できたと思います」

 そして2度目の夏、今度はエースとして迎えた初戦の日体荏原戦(現日体大荏原)との試合は、1点リードのまま9回まで進み、二死ランナーなしと勝利まで残りアウト1つのところまで来た。だが、誤算はここからだった。

 「そこまで打たれていませんでしたし、二死だったのですが、ボールが13球続いて押し出しで追いつかれてから、勝ち越し打を許してしまいました」

 福嶋監督の中では最終回二死はタイムを取ることを、勝つためのルーティーンにしてきた。それをできずに、そのまま試合を進めてしまったことに「申し訳なかった」と振り返りつつも、こう語った。

 「日体荏原に敗戦した時の悔しさが、伊藤を成長させたと思います」