同学年のライバルを見て心身が急成長。そして最後の夏の見逃し三振を糧にして

小林 珠維
大脇監督はここまで練習の取り組みが変わるのかと驚いたという。
「1球に対する集中力、執着心を持って行うようになりましたね。たとえばグラウンドでアップする一歩目、ランニング1つも変わりました。走っている時に姿勢を意識したり、投球練習時は体重移動を意識したりしていました。 そういった小林の姿を見て、『こんなに変わるんだ』と思ったくらいです。本当に『心が変われば』と言うのは、このことなんだと思いましたね」
こうして小林は最速153キロをマークするようになり、その力でも試合に発揮できるようになり、豪快な打撃も発揮しつつあった。しかし最後の夏は南北海道大会準決勝で敗退。甲子園出場はならなかった。特に準決勝の札幌国際情報戦は小林にとって悔しい打席があった。
「9回に回った打席でど真ん中の甘いボールを見逃して三振に倒れたんです。それがあいつの弱さというところで、良いことばかりではなかった高校野球を胸にプロに行けたのは良かったと思います」
いわゆる詰めの甘さは本人も大脇監督も最大の課題だと捉えていた。
「普段からあいつの課題でしたので、それを克服しようと取り組んできました。
それまでもホームランを打ったりと、活躍はしましたが最後の場面で真ん中のボールを見逃し三振。プロの舞台では同じ失敗をしないように、忘れて欲しくない三振ですね。
それこそ真の実力のある選手ならば、真ん中のボールを、ホームランにできています。その1球を逃した高校時代の反省として今後に生かしてほしいですね」
夏が終わり、小林は投手メインで練習をしていたが、ドラフト会議ではなんと野手として指名だった。これは大脇監督にとっても驚きだった。
「ビックリですね。ソフトバンクのスカウトの方だけ『ウチは野手での評価だ』と言われていたんです。だから公式戦で内野はやったことありますが、本格的にやるのはプロからですね。打者・小林は飛ばす力は凄いものを持っています。
実はいうと、他球団から投手がだめならば野手でという話があったんです。だから小林は投手で活躍を目指していたと思います。驚いたのは4位で指名されたことですね。5,6位からなと思っていましたし、ソフトバンクさんも良いところをどんどん伸ばせる自信があったと思って野手で指名したと思いますし、凄いなと思いましたね」
小林は研修合宿など様々な経験を通して、取り組みを変え、プロ入りの道を叶えた。小林の何かを感じて、上達するために、自身の取り組みを工夫するようになったのは、大脇監督が2年夏に行った「ベンチ外」が始まりだったといえる。
大脇監督の願いは「人として育つこと」。それこそがプロでの大成へつながる第一歩なのだ。
(取材・文=河嶋 宗一)
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