「鉄腕」の秘められた高校3年間 恩師が語る・森 唯斗(福岡ソフトバンクホークス)【前編】
一昨年、昨年と日本シリーズ連覇を果たした福岡ソフトバンクホークス。その快挙が決まるマウンドに立っていたのはいずれもこの豪腕・森 唯斗だった。
2013年にドラフト2位で三菱自動車倉敷オーシャンズから入団すると、140キロ後半をアベレージとする回転数の多いストレートに落差の大きい縦変化球で6年連続50試合以上登板。一昨年からは守護神も務めるタフネス右腕。ただ、社会人4年間の前、徳島県立海部高等学校で過ごした3年間で過ごした日々はほとんど知られていない。
そこで今回は森 唯斗が海部2・3年時に監督を務め、現在は徳島科学技術で指揮を執る福井 健太監督に高校時代のお話をうかがうことに。そこで出てきたのは「鉄腕」の裏にある「意外な」側面だった……。
「背中に当たる」腕振りと「アウトコースの」コントロール
海部2年時の森唯斗(福岡ソフトバンクホークス)<撮影:大久保隆太>
海部は僕が27歳の時、最初に監督をした学校です。立教大(追記:二塁手でレギュラー。2002年春には早大2回戦で史上7度目の1回表先頭打者初球本塁打をマーク)を卒業した後に僕は城南でコーチをしていたんですが、「教員採用試験への勉強もあるけど2年間修業と思って行ってこい」と言われて2年間。それが森の2年・3年生時でした。
赴任した時にまず思ったのは「ここには能力が高い選手が多いなあ」ということ。当時の3年生には後にJR四国に進む冨田(陽介)という左腕がいて、森と同じ2年生にも戎谷という右腕。戎谷は素材的には彼の方が森より上だったですし、その他にも能力が高い選手がいた。その中で森の存在にもびっくりしたことを覚えています。
森について最初に驚いたのは腕の振りですね。投げるたびに「バチーン」と背中に当たる。「手痛あないの?」と聞いたら「大丈夫っす」と答える。そんな感じです。そしてもう1つよかったのはアウトコースへのコントロール。高校時代の彼はそれが生命線でした。
居残り練習で鍛えられた「スタミナ」
森唯斗の海部時代の恩師・徳島科学技術の福井健太監督
今でこそスマートフォンがありますが、海部高校がある海陽町という土地はやることが「野球しかない」感じでした。勉強以外で時間を持て余した時にやることは部活動だけ。だから、野球部の選手も長い時間練習する。
JR牟岐線の時間がある学校から遠い場所から通っている選手が帰っても、学校の近くから通っている選手は居残り練習。自転車で10分くらいで通える森もその1人で、いつも21時くらいまではいつも練習していました。当時から投げることは好きでしたし、フィールディングとけん制はうまかったんですが、そこに加えて短距離・中距離のダッシュなど僕も立教大の投手だった同級生に連絡して投手メニューを組んだことを覚えています。彼も黙々と文句も言わずよく走っていましたね。そして長期離脱するようなケガもなかった。そこは今に通じる部分があるかもしれないです。
最終学年ではキャプテンにもなってもらいました。「そんな彼なら周りもついてくるだろう」と思ったので。でも彼は小さいころから知っている、仲もいいということもあって優しい部分もあるんですよ。「もっときついことも言って周囲を鼓舞していいんだぞ」という言葉をかけたこともあります。
前編はここまで。後編では森選手の進路に関する裏話、そし教え子へメッセージをもらいました。後編もお楽しみに!
(取材・文=寺下 友徳)
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