「技術的には言うことがなかった」 恩師が語る田口麗斗(読売ジャイアンツ)【前編】
2019 WBSC プレミア12が11月2日から開幕。悲願の優勝に向けて稲葉篤紀監督を中心に、最強メンバーが一致団結して世界を相手に戦っている。そんな侍ジャパンの強力投手陣の一角を担っているのがプロ6年目の田口麗斗だ。
2013年のドラフト会議にて3位指名で読売ジャイアンツに入団。プロ2年目となる2015年に初勝利を含む3勝5敗で1軍を経験すると、翌2016年には10勝10敗で2桁をマーク。2017年にはキャリアハイの13勝を記録し、ジャイアンツの投手陣の柱となった。
今シーズンは中継ぎへ配置転換となったが球界屈指のサウスポーとして侍ジャパンで左腕を振る24歳の侍の高校時代を知るべく、母校・広島新庄へ。そこで指揮を執る恩師・迫田守昭監督に高校時代の様子を語っていただいた。
変化球を投げずとも十分通じるレベルだった
高校時代の田口麗斗投手
迫田監督が田口を初めてみたのは中学2年生の時だ。
「彼は軟式のクラブチームに所属しておりまして、『良い投手がいる』という噂は聞いていたので、見に行きました。体は小さかったですが、コントロールが良くて真っすぐだけで抑えていたんです」
田口投手を見に行くと試合では、芯に当てられる打球はほとんどなく、三振ばかり奪っていたそうだ。またコントロールが良く、ほとんど打たれない田口投手の投球を見て「いい投手だ」と感じた迫田監督。
ちなみに広島新庄では投手に対して、コントールと切れを求めている。「いくら速くても金属バットでは甘いと打たれます。なので、コントールと切れが大事だ」と迫田監督が考えているからだ。そうした点でも田口投手は広島新庄にあっており、迫田監督をうならせる素質を十分に備えていたのだ。
こうして迫田監督は、田口投手が中学3年生になると学校へ足を運び熱心に誘った。「ああいうピッチングをしていたので、他にも話が来ていたと思うんですが」と振り返ったが、何とか田口投手を広島新庄に迎え入れることが出来た。
すると迫田監督は1年生の春から田口投手を公式戦のマウンドにあげて、早々に経験を積ませていった。そのことについて迫田監督は、「先発ではないですが、途中1、2イニングくらい投げさせました。それくらい使ってみたい」と思う素材だったことを明かす。
ではどれほどの潜在能力を持っていたのか。迫田監督はこんなエピソードを出してくれた。
「中学の時は真っすぐしか投げていませんでしたが、高校に入っても最初は変化球を投げずとも十分通じるレベルでした。けどある程度のレベルになると変化球が必要になるので教えたんですが、すぐに覚えるんです。
しかもなまじ中途半端なボールではなく、しっかりと使える変化球になるんです。大会で使う変化球を試合の1週間前に教えても試合で投げられる器用さを持っていましたね」
田口麗斗という男を育てることに集中した3年間
恩師・迫田守昭監督
こうした器用さ、そして教えたことを吸収する力は、周りの同級生たちに比べて抜き出ていた田口投手。「基本的に能力が高く、ピッチャーとしての要素を持っていました」と迫田監督が絶賛するほどだった。
そのため、「技術的には言うことがなかった」と田口投手への指導を振り返る迫田監督。ただ問題だったのは、田口麗斗という人間を育てることだった。
「性格が大雑把というか、ピッチャーの中で中心選手なので練習を見ていましたが、見ているところではしっかりやります。ただ、見ていないところでは抜くんです。要領は良いんですが、走っていなければ注意をしていました」
また「試合ではエラーしたりするとカッとなる」ことがあった田口投手。当時は、「エラーすると、『エラーしやがって』というのが表情に出ていた」というほど態度に出てしまっていたことを語る。だがそのたびに田口投手に指導し、人として成長を促してきた。
そこには迫田監督が「少々のことで動じたり、変わったりしてはいけない。どんな時も冷静に『抑えるからついてこい』と、マウンドで堂々するのがエース」だという考えを持っていたからだ。
だからこそ田口投手に対して技術ではなく、人として指導を続けた迫田監督。すると、3年生になるころにはエースとしての心構えが出来てきて、マウンドでの立ち振る舞いも変わってきたそうだ。
「少々のエラーが出ても笑顔でプレーをしていました。瀬戸内との決勝戦でも広島で初の再試合になりましたが、ニコニコしながら投げていました」
田口投手は最後の夏、ライバル・山岡泰輔(オリックス・バファローズ)に0対1で再試合に敗れ甲子園出場できず、高校野球は終了。しかし、その夏のU-18代表にそれまでの好投が認められて選出。同世代のライバルたちと世界を相手に戦うのであった。
前編はここまで。後編では田口投手の3年生の時の話をもう少し掘り下げながら、最後に迫田監督にメッセージをもらいました。後編もお楽しみに!
(取材・文=田中 裕毅)