2016年、広島新庄(広島)から北海道日本ハムファイターズ高卒ドラフト1位で入団。1年目から侍ジャパントップチームメンバーに選出されたことを契機に着実に成長を遂げ、3年目を迎えた今季は53試合に登板し4勝4敗1セーブ5ホールドとキャリアハイを更新し貴重な左腕中継ぎの一角を占めている堀 瑞輝。
高校時代は2年夏に広島新庄を初の夏甲子園出場へ導き1勝をあげると、最後の夏も再び甲子園に戻り2勝。大会後には侍ジャパンU-18代表として「第11回BFA U-18アジア選手権」優勝に大きく貢献したのも記憶に新しいところだ。
では、そんな堀投手は高校3年間をどのように過ごしてきたのか?今回は恩師・迫田 守昭監督に大いに語って頂きました。
「キレ・伸び・裏表なし」を土台に

笑顔が光る高校時代の堀瑞輝
堀(瑞輝)は呉市立昭和中の軟式野球部出身。彼が3年生の時、呉地区の僕の教え子が中学の監督をしていた関係で「いい投手がいる」と聞いてはじめて見に行ったんですよ。練習を見ただけなんですが、そこでキレのあるボールを投げていたんです。そこで指導者の方に広島新庄への進学をお願いして、入学することになったんです。
入学後も堀はすぐに硬式ボールに慣れて、キレのいいボールを投げていたんです。球速も1年夏から130キロを投げていて、大会でも短いイニングで使っていました。ただ、当時の彼には心配なことが1つあって……。センスはあってもフィールディングに大きな難があったんです。だから一年の時には毎日投手ノックを打ちました。そうしたら3年ではとてつもなくフィールディングがうまくなったんです。「こんなにうまくなるんだ。やはり練習しなければいけないんだな」と僕が気付かされた選手です。
そしてストレートも最後は147~148キロ(最速150キロ)。2年になったら140キロ、3年には140キロ後半と毎年着実にレベルを上げてくれました。性格は寡黙なんですが、やるべきことをしっかりやる選手でした。「僕が見ているから、見ていないから」ではなく、表裏なく走るときは走る。だから、堀については「ほっといても大丈夫。悩んだ時にどうしてやるか」を考えていました。
実は、その部分で一時悩んだ時期もありました。彼は左スリークォーターですから、右打者に対して球筋が見えやすかったですし、ストレートの球速自体はありましたから、一度オーバースローにしてみたことがあったんです。でも、よくない。「ならばお前の持ち味である投げ方に戻そう」ということで今に至っているんです。事実、インコースに投げ切れる力もあった高校時代は意外と左打者に打たれていた田口(麗斗・読売ジャイアンツ)と違って、左打者に打たれることはほとんどありませんでした。