節目節目であいさつができる「人として」育ってほしい

野村祐輔の恩師である中井哲之監督(広陵)
高校で最も印象深いのはやはり逆転満塁ホームランで負けた3年夏の甲子園、佐賀北(佐賀)との決勝戦後。宿舎では野村だけでなく、みんな泣いていました。あとで聞いたら「監督さんが僕らの気持ちを代弁して、僕らを守ってくれたうれし涙でした」とは言ってくれましたけど。 僕は彼らに「正しいか、正しくないか」という躾(しつけ)はしてきましたし、僕自身もそうしてきましたけど、そんなこともあって嬉しかったんだと思っています。
でも、僕らにとっては普通なんですよ。「親父が泣けば子どもが泣く、子どもが泣けば親父が泣く」というのは。広陵はずっとこのスタイルなので。
それと野村は有原(航平・北海道日本ハムファイターズ)もそうなんですが、彼は節目節目で広陵まで来てあいさつをしてくれる。そんな彼ですから。僕は今も日々自分に厳しく頑張っていると思います。
だからこれは誰にでも言っていることなんですが、野村にはこれからも「人として」育ってほしい。いつかプロ野球選手としての時間は終わるわけですし、「野村さんは野球が終わっても腰が低いし笑顔が似合う」と言われてほしいですね
(取材・文=寺下 友徳)