目次
恩師が語るヒーローの高校時代 歳内 宏明

[1]ケガ、そして「2011年3月11日」を超えて
[2]あの日、あの時の想いを持って「復活報告」の2018年へ

 今年もセンバツで1勝をマークするなど福島県・東北地区の強豪として鳴らす聖光学院。その中でも特に甲子園で印象深い活躍を見せた投手がいる。
 2010年夏にはベスト8、2011年夏にも1勝をあげた歳内 宏明。常時140キロ台のストレートと魔球スプリットで多くの打者を手玉に取り、2011年秋にはドラフト2位指名で阪神タイガースに入団を果たした。
 右肩の故障で今季は育成選手でのスタートとなったが、プロ6年間で57試合に登板し2勝4ホールドを上げているタフネス右腕の真骨頂とは?聖光学院高校の恩師・斎藤智也監督の言葉から、そのルーツを探る。聖光学院2年4月の大きな分岐点。そこから2年夏のベスト8に到達するまでを取り上げた前編に続き、後編ではけがと2011年3月11日を乗り越えて到達した最後の夏と、隠れたエピソード。そして歳内 宏明投手に対する聖光学院・斎藤 智也監督の「想い」を紹介していきます。

ケガ、そして「2011年3月11日」を超えて

 新チーム発足。聖光学院のエースはもちろん最上級生になった歳内 宏明。夏の躍進から周囲の期待はおのずから高まる。ただし、指揮官は冷静だった。

「もちろんセンバツは目指していましたが、負ける覚悟はできていたというか、負けた後のスケジュールは考えていました」

 

 実はこの時、歳内は中学生の時から患っていた腰痛が悪化し、左足の感覚がないほどに。そこで斎藤監督は東北大会の準々決勝で仙台育英に敗れるとすぐ、歳内の治療に着手した。

 「まず腕のいい整骨院を探して、見つけたのが、石川整骨院だったんです」

 

 宮城県仙台市にある石川整骨院・院長の石川裕治氏は東北地方では知る人ぞ知る名医。(佐藤)由規投手(東京ヤクルトスワローズ)に対し、小学生6年生から中学3年生まで筋肉の質を変えるための治療を施し、仙台育英高校入学時の最速125キロから最速155キロへの30キロ球速アップにつながる体の土台を築いた人物でもある。

 

 効果はてきめんだった。12月過ぎには腰の痛みが治り、トレーニング制限も解除。その後、山でクロスカントリーをするなど、体づくりにしっかりと取り組み、歳内の体はメキメキと大きくなる。

 

 この結果体重は72キロから10キロ増の82キロとなり、最後の夏への手ごたえをつかみつつあった歳内。その矢先、心を揺るがすことが起こる。

 

 「2011年3月11日」・東日本大震災。幼少期の1995年1月17日に「阪神・淡路大震災」に遭った歳内にとって東北・福島県で起こる様々な困難は、自分の身をかききられるような痛みを伴った。そして野球に集中できない環境下にあっても、忘れてはいけないこと。彼は心に誓って福島大会のマウンドに上がる。

 

 最速145キロにまで達したストレート主体のピッチングで34回3分の2を投げて60奪三振、防御率0.52と圧巻のピッチングで自身2度目の甲子園出場を達成。甲子園でも日南学園戦で10回を投げ16奪三振。釜田 佳直(東北楽天ゴールデンイーグルス)との投手戦の末、惜しくも2対4で敗れた金沢戦でも9回14奪三振。19イニングで30奪三振の記録以上に「背負っているものが誰よりも違う。惚れました。思わず入り込んでしまう」と斎藤監督にして感じさせるものがあった。

  

 そんな斎藤監督が今でも忘れられないエースの振る舞いがある。それは試合中ではなく、金沢に敗れた後。取材に受ける彼が話した「深い想い」であった。

 「自分が投げている姿を見て福島県民に何か伝われたら。喜んでもらえたら自分の喜びになります』とアイツは言ったんです。被災県の代表として甲子園に行く意味を突き詰めて考えていることが分かりましたし、立派なコメントだと思いましたし、3年間で大きく成長したと感じられる瞬間でした」

 

 その時、斎藤監督の目には光るものがあった。