伊藤 光捕手(明徳義塾-オリックス・バファローズ)「プロ入りを確信した」別格の肩
オリックス・バファローズの正捕手を務める伊藤 光。強肩・強打・俊足に加え甘いマスクを兼ね備える26歳のプレーは高卒7年目で「侍ジャパン」トップチームにも多数選出経験を持つ俊英ならではのスマートさに満ちている。
ただ、そんな彼の出身高が全寮制、公私共に俗世間から隔絶された環境下で鍛え上げる明徳義塾(高知)であることは意外にも知られていない。では、高校時代の伊藤 光はどんな球児だったのだろうか?今回は名将・馬淵 史郎監督から見えた伊藤 光の実像を語ってもらった。
最初に見たときから「プロへ行ける」と思った
伊藤 光捕手 恩師の明徳義塾・馬淵 史郎監督
(伊藤)光は最初に見たときから「プロに行ける」と思いました。肩とキャッチボールは図抜けていたし、足もチームで1・2を争うくらい速い。だから練習ではショートを守らせたこともありました。
フィールディングとかは1学年上に永松 泰典(関西大~鷺宮製作所)といういいキャッチャーがいたので、すぐに試合に出られるレベルではなかったけど、彼の場合は明徳義塾でなくてもある程度のレベルにある学校に行っていればプロには行ける素材。その部分では順調には行ってくれたと思います。
その反面、バッティングはアッパースイング気味だったのでプロに入っても苦しむとは思っていました。どうしても「遠くに飛ばしたい」という意識が強く、内角低めのボールは滅法強くてよく飛ばしていたから、高校時代は最後までその傾向がなかなか直らなかった。
だから、ベルトより上の速いボールはダメだったんです。ただ、プロに入って昨年からはセンター方向に叩きつけて打てるようになった。ここは頑張っている部分だと思いますね。
実は「特進コース」の頭脳と肩の逸話
伊藤 光捕手(オリックス・バファローズ)
光は頭もよかったんですよ。明徳義塾では「特進コース」。だからリードの原則も理解していました。捕手としての能力も高かった。当時2番手捕手だった浦 翔太郎が拓殖大で主将をして、今はJFE西日本の正捕手になっているくらいですからね。
さらに送球も肩の高さのまま二塁まで届く。となるとランナーは誰も盗塁してこない。相手チームも諦めがついたのか一塁にランナーが出てもバントしかしてこなかったです。だからNPBのスカウトはいっぱい来てもらっていたけど、中でもオリックス・バファローズは一番熱心だった。3年になってからずっと見に行ってくれていたし、6月からはスカウト部長もよく見に来ていました。
ただ、それゆえにリードに酔う部分もあったんです。「投手が打たれても俺のせいじゃない」みたいな。加えて、当時の明徳義塾は投手もよくなかったし、高知は国尾 健人(國學院大~現:松山城南高<愛媛>コーチ)がエースで、守れて強かった(2006年明治神宮大会優勝・2007年春夏連続甲子園出場)。
最終学年で明徳義塾と高知は4度対戦して、勝ったのは新人戦と春の四国大会代表校順位決定戦だけ。甲子園に通じる秋と夏は決勝戦で負けました。正直言って実力差がありすぎる中で捕手として光は苦労したと思う。それが逆に言えば今に活きているんじゃないかな。
明徳義塾らしい「勝てる捕手」になってほしい
光は今でも秋季キャンプで高知に来ると「到着しました」と連絡をくれる。真面目だし、チャラチャラしたところはまるでないです。一方でさきほど話した利己的な部分もプロ向きな部分。
だからこそ、これからの光には日本を背負って立つキャッチャーになってほしい。今年はチームの成績も自分の成績もよくなかったけど、明徳義塾出身者らしい「勝てる捕手」になって、「侍ジャパン」にも戻ってほしいですね。
「名将」とうたわれるゆえんでもある冷静沈着な分析の影にある愛弟子への励まし。そんな明徳義塾・馬淵 史郎監督の激励を背に受け、伊藤 光は2016年、オリックス・バファローズの「22番」を背負い、悔しさにまみれた2015年から逆襲への火ぶたを切りにいく。
(取材・構成=寺下 友徳)