
星稜高校時代の松井秀喜
[1]何かと劇的な試合が多い星稜の歴史
[2]近年の卒業生達
北信越を代表する星稜が全国でも実績を残すようになったのは1976年の選手権。この大会でベスト4入りし、1979年では、3回戦で箕島に敗れたものの延長18回の激闘を演じるなど、全国の高校野球ファンの印象に残る名勝負だった。そこから星稜は数々の伝説を巻き起こすチームとなっていく。今回は、毎年大型選手が活躍し注目される星稜のつながりを紹介したい。
何かと劇的な試合が多い星稜の歴史
その箕島戦の後、星稜が全国的に注目を浴びることとなったのは、国民栄誉賞を受賞したOB・松井 秀喜氏の存在が大きいだろう。いきなり1年生ながら甲子園に出場し、3年春には初戦の宮古戦で2本塁打、2回戦の堀越戦でも本塁打を放つ。この3発により松井はさらにクローズアップされる。そして伝説になったのは、1992年夏の甲子園の明徳義塾戦だ。今でも語り継がれる5打席連続敬遠。日本中が大騒ぎになった瞬間である。
こういった経験をしていきながら、松井氏は日本の注目を集めた名打者へと育っていった。
その後は、1995年夏には山本 省吾投手(元福岡ソフトバンク、現・福岡ソフトバンクスカウト)を擁し、準優勝を経験。その後も、甲子園出場を経験していく。そして再びクローズアップされたのは2014年夏の石川大会決勝の小松大谷戦だ。9回まで0対8と8点ビハインド。決勝戦でなければコールド負けの試合展開だったが、反撃に成功し、見事、逆転サヨナラで2年連続の甲子園出場を決めたのだ。そして甲子園では初戦で静岡に逆転勝ちするなど、印象深い活躍を見せた。
星稜出身の卒業生を挙げれば、巨人でリリーフとして活躍する高木 京介投手、好打者として楽天で主軸を担う島内 宏明外野手、2014のエース・岩下 大輝投手と、将来性溢れる逸材が多いのが星稜だ。星稜の選手は技術、体格、野球センスともにレベルが高い選手が多く、やはり石川県を代表する名門校として、今後も逸材を輩出し続けるだろう。
星稜が注目されるのは、人材を輩出するだけではなく、1979年の箕島戦や松井氏の5打席連続敬遠、そして2014年の石川大会決勝戦と何かと劇的な試合が多いからだとうことも挙げられる。この試合によって、星稜は多くの世代に、何か劇的な試合をするチームだと印象付けたことだろう。これからも数多くのドラマを起こし、逸材を輩出するチームになっていくのではないだろうか。
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