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第135回 【三年生座談会】小松大谷高等学校(石川)【前編】2015年10月09日

【目次】
[1]「もう勝った」と誰もが決めつけていた、昨夏の決勝戦
[2]新チーム発足後に生じた変化
2014年夏に行われた星稜との石川大会決勝戦は小松大谷にとって悪夢ともいえる試合となった。最終回を迎えた時点で8対0とリードしながら9回裏に一挙9点を奪われてのサヨナラ敗戦。高校野球史に残る世紀の大逆転劇は米全国紙「USA TODAY」のサイトでも報じられた。
それから約一年。今夏の石川大会準々決勝で再び星稜と相まみえることになった小松大谷は最終回を迎え、3点のリードを許しながら、9回裏に一挙4得点を奪う奇跡の逆転サヨナラ劇。1年越しのリベンジをサヨナラ返しで果たすという劇的な展開は大きな話題を呼んだ。
85年以来、30年ぶりの甲子園出場に大きく近づいたと思われた小松大谷だったが、次戦の金沢戦に3対6で敗退。目標にしていた聖地でのプレーは叶わぬまま、準決勝敗退という形で3年生の高校野球は幕を閉じた。
「もう勝った」と誰もが決めつけていた、昨夏の決勝戦

下口 玲暢主将(小松大谷高等学校)
石川県小松市に位置する小松大谷高校を訪れたのは、甲子園出場が絶たれたゲームから約2か月が経過した9月下旬。元気な挨拶と共に、放課後の教室に登場したのは制服姿の6名の3年生。下口 玲暢(主将、1番・捕手)、木村 幸四郎(8番・投手)、西田 将大(4番・右翼手)、鈴木 研志(3番・一塁手)、南村 楓河(2番・二塁手)、千田 啓介(6番・遊撃手)だ。
――昨夏の石川大会決勝で星稜に8点差を逆転された試合の翌日に新チームが始動したわけですが、まずは星稜との一戦を振り返っていただけますか。今さら思い出したくもないかもしれませんが…。
鈴木 研志(以下、鈴木) 今だから言いますが、あの試合、ぼくがセンターで西田がライトだったんですけど、外野で言い合ってたんですよね…。
西田将大(以下、西田) 「もう勝ったな」って言い合ってた。
鈴木 7回くらいだっけ?
西田 いや、8回の裏の守備についた時。
鈴木 「甲子園に行ったら背番号の生地の色がユニホームと同色から白色になるんだよな」なんて話してて。完全に勝ったと決めつけてしまっていました。
――でもあの状況でそう思わない方が不自然なような気がします。ちなみに試合が終わる前に「もう勝った」と思った人はこの中にどのくらいいますか?
一同 (全員が挙手しながら)はい。
下口 玲暢(以下、下口) 8点差になった時点でおそらくほとんどの部員が勝ったと思ってしまった気がします。その油断がああいう結果につながってしまったのは間違いないと思う。
南村 楓河(以下、南村) 自分はあの試合はスタンドから応援していたのですが、完全に「もう勝った」と決めつけてしまっていた。あんな試合展開になって、試合の流れの怖さ、一つのアウトをとることの難しさも痛感しました。
千田 啓介(以下、千田) 自分はあの試合、ショートを守っていましたが最終回に星稜に追い上げられながら、パニック状態になってしまった。内野で守っていた2年生は自分だけ。マウンドで同じ2年生の木村が苦しんでいるのに、何も声をかけることができず、木村をひとりにしてしまった。そこにものすごく悔いが残っています。
下口 千田だけじゃなく、キャッチャーだった自分を含め、誰一人マウンドにいって声をかけられなかったし、タイムをとることもできないまま、やられてしまった。もしもタイムをかけて、きちんと間をとっていたら逆転されることはなかったんじゃないかと思ってしまう。
木村 幸四郎(以下、木村) 6点リードの時点でマウンドに上がりましたが、相手の応援しか耳に入ってこなかった。「あれ?うちの応援団っていなかったっけ?」と思った記憶があります。まるでフィールドの中で一人でいるような感覚。でもあまりにもパニック状態だったので、「誰も俺に声かけてくれないの?」という思いすら湧きませんでした。
試合後、木村は3年生全員に頭を下げ、謝罪したという。
木村 自分のせいで3年生の最後の夏を終わらせてしまった。あまりのつらさに、「この先、自分は野球を続けていけるのか…?」とさえ思った。でも3年生たちに謝りにいったら、逆に励まされてしまった。そこで腹をくくりました。この経験を糧にし、やるしかないんだと。自分らの代で甲子園に出場する事が先輩たちへの何よりの恩返しになるんだと。