【三年生座談会】県立松山工業高等学校(愛媛)【後編】
前編ではどこにでもあるような野球部がやる気ある集団へ変わっていく過程を振り返った。後編は夏の愛媛大会振り返りと後輩たちへのメッセージを添えてお届けします!
<出席者>
福﨑 亮太(3年主将・捕手・背番号2)
池田 牧穂(3年・捕手・背番号12)
片桐 真之介(3年・二塁手・背番号4)
玉井 慎吾(3年・一塁手・背番号3)
竹田 伊吹(3年・右翼手・背番号9)
成松 昌彦(3年・左翼手兼投手・背番号7)
1列目手前から時計回りに福﨑 亮太選手・成松 昌彦選手・片桐 真之介選手・玉井 慎吾選手・池田 牧穂選手・竹田 伊吹選手
(県立松山工業高等学校)
「お前、どこ引きよるん」から夏の躍進へ
玉井 慎吾選手(県立松山工業高等学校)
6月21日(日)運命の愛媛大会抽選会。福﨑 亮太主将がひいたくじは主将と周囲の思考にギャップが生まれる「あの」相手だった。
――愛媛大会抽選会で福﨑主将がひいた初戦は春のベスト4「野村」でした。
福﨑 僕自身は「いいくじを引いた」と思っていたんですが、チームメイトに伝えたら「お前、どこ引きよるん」と言われて(笑)
一同 (爆笑)
――と周囲が思うのは、四国No1・高校通算36本塁打の4番・田中 力(3年)を抑えるミッションがあるからですよね?実際の試合ではどんなプランだったのですか?
福﨑 練習試合で事前に対戦したことを踏まえた上で、最初の打席だけ勝負。あとは走者がいる場面では無理に勝負をしない。走者がいない場面では外野手を思いっきり下げることを徹底しました。
玉井 この試合、9回表に一度逆転される前に僕が伝令にいったんです。2つ言うべきことがあって1つは「ディレイトスチールと盗塁は全部カットでいい」。ただ、そこで時間がかかりすぎて、もう1つの「打者には変化球を投げろ」を言えずストレートを打たれて・・・・・・。その後、僕の伝令はなくなりました。
一同 (爆笑)。伝える順序を逆にしといたらよかったのに(笑)
玉井 だから、延長11回サヨナラ(5対4)で勝ってホッとしました・・・・・・。
――2回戦では大洲(5対2)、3回戦では八幡浜(4対2)と強豪を下していきます。
片桐 僕、大洲戦では2対2の8回表無死一・二塁の場面でバントを2回失敗したんです。そこで伝令の松田 大和(2年)からは「好きに打っていい」といわれたんですが、そこまでの調子があまりにも悪かったんです。ですので、進塁打を打とうと思ったところでボール球に手を出してしまったら、左中間方向にうまく飛んでくれました。
僕ら、野村に勝って注目されると思ってネットを見てみたら、そうでもなかった。大洲に勝っても第4シードの松山聖陵に勝った八幡浜が注目されている。「僕らも注目してほしい」という想いはありました。
成松 昌彦選手(県立松山工業高等学校)
成松 八幡浜戦は「先発投手が投げているうちにできるだけ点を取ろう」というプランがあったんです。だから初回の2失点でも慌てなかったし、TV中継の試合前取材で「打ちます!」と言ったので(笑)、初球から打っていったら初回の逆転三塁打につながりました。
竹田 僕は練習試合で二塁打王を杉本と争っていたんです。そこで二塁打を打てるイメージができていてことが八幡浜戦の4点目につながる二塁打にもなりました。
――勝ち進む中でのベンチの雰囲気はどうでした?
池田 野村戦の時は普段声出さない奴も相当必死に声を出していたし、その後の試合では最初から声が出ていた。雰囲気はよかったですね。
――八幡浜戦では中堅手・石崎 真継(2年)くんの2度のバックホーム送球も効きました。普段の練習も活きたと思いますが?
竹田 冬の練習では外野ノッカーの隣にネットを置いて、そこに投げられなかったら自分で取りにいかなくていけないんです。それと右中間・左中間は2人の間にノックを打って声の連携も練習しました。それも活きたと思います。
松山北との激戦、そして高校野球を終えて
――7月24日、いよいよ春のリベンジともなる松山北との準々決勝を迎えます。
玉井 7回の同点スクイズはバント練習もそれまでとてもしていましたし、いつもはファースト側に転がすところを感覚的にサードに転がせて成功したのでよかったです。
福﨑 9回裏無死満塁の場面を0で抑えたのは、成松のスライダーは切れ味があったし、練習試合でも打たれた覚えがないので、そこで勝負したからです。
――しかし、延長10回裏一死二・三塁から中犠飛で2対3サヨナラ負け・・・・・・。
竹田 相手校の校歌を聞いたときに実感しました。
一同 学校に帰って3年の前では「お前らはよくやった」と言ってもらいました。でも、1・2年はその後1時間説教されていましたけど(苦笑)
皿海監督への思いと後輩たちへメッセージ
竹田 伊吹選手(県立松山工業高等学校)
――そんな皿海 拓生監督は3年生にとってどんな方でしたか?
竹田 チームの中で一番声が大きいですね。
片桐 喜怒哀楽が激しいし、選手よりも喜ぶんですが。選手たちだけで坂道ダッシュをしている時も気付いたらいたりする。神出鬼没です。
福﨑 100回補球するまで終わらない「100捕りノック」の時は厳しかったですけどグラウンドを離れると優しい方ですね。
――では、最後に高校野球を振り返りつつ、後輩たちへのメッセージも。
成松 最初は野球部に入る気もなく、入っても楽しもうと思っていたんですが、やったらやっただけ上に行けることが判りました。
片桐 2年生の時に監督が変わってキツかったですけど、最後の夏はずっと楽しかった。後輩には監督にもっと食らいついていって、野球を楽しんで結果を出して欲しいです。
玉井 僕も最初は「野球が楽しめればいい」でしたが、2年春から試合に出てチームに貢献したい思いが強くなったし、それによって成長できたことが楽しかったです。後輩にはしんどいことを乗り越えた先に楽しさがあることを知ってほしいです。
池田 今年の春には実力が足りず、試合に出られず本気でやめたい時期もありました。でも、2年半続けたことでベスト8になれて楽しかった。努力すれば力も付くと思うので、僕らを超えて欲しいです。
竹田 「辞めずにがんばったらいいことがある」と昨年の主将(天野 恭司郎)の言葉を頭に残して頑張ったことが夏につながりました。後輩たちにも「やりぬいたらいいことがある」と伝えたいですね。
福﨑 1学年上の先輩は優しく、エラーしても切り替えることができたので、先輩たちがいなくなったら頑張れるのかと思っていたんです。キャプテンということでチームをまとめるのは大変だったけど、最後はよかったです。
新チームは田内や貞廣とかも残るので、あとは守備をしっかり固めて僕らの上にいってほしいです。
――本当に今回は楽しく、ためになる話をありがとうございました!
一同 ありがとうございました。
「『これが最後、やり残しがないようにしよう。やりきろう』がよかったです」
練習試合でのタイトル争いなど工業高校の特性でもある「数字に食いついてくる技術者集団的な部分」を利用したと語る皿海 拓生監督も、彼らの夏に賛辞を送る。今後は本格的な硬式野球からは離れ、それぞれの針路を取る予定の松山工業高等学校3年生13人。彼らの積み上げたことが次のステージで活きることを祈りつつ、彼らの座談会から「普通の高校野球部」を中心とした現役生たちに少しでも得るものがあれば、こんな嬉しいことはない。
(取材・構成=寺下 友徳)