「キャプテン論」

印刷する このエントリーをはてなブックマークに追加   

第1回 「ターニングポイント」2014年09月24日

【目次】
[1]高校時代は身体も細く小さくて、プロの世界が遠く感じた
[2]バルセロナオリンピックの候補選手になって

 今回から5回連載で、仁志敏久さんの高校時代を中心に伺ったインタビューを配信していきます。

第1回は、「ターニングポイント」。高校や大学時代のお話しの中で、プロ野球を意識した時期や、当時感じていた“プレーヤーとしての壁”をどう乗り越えていったのかなど振り返っていただきました。

高校時代は身体も細く小さくて、プロの世界が遠く感じた

――高校入学当時からプロ野球選手になろうと思っていましたか?

仁志 こどもの頃からずっと『将来プロ野球選手になる』と思っていましたが、唯一無理かもしれないと思ったのは高校1年生の時です。中学校までは全国的なレベルを知らなかったので、その時はプロ野球選手になれるということを疑ったことがなかったんです。

 高校に行って初めて、視野が広がった時に、自分の出来ることの範囲が一瞬見えたような気がしてしまったんです。体も当時は今よりも細くて小さかったので、『プロ野球選手になるためには、何か足りないな』と思ったのが高校1年生の時でした。

――『一瞬見えた』という壁は、どうやって乗り越えていったのですか?

仁志 これは物凄くたまたまで、その当時の先輩たちがとても力があって、素晴らしい先輩たちでした。先輩たちについていったら、甲子園で準優勝をすることができました。そのメンバーの中に1年生は僕1人だけいたので、それで名前だけが独り歩きをしてしまったんですよね。

 だから、周りからの評判に、ついて行こうと思って必死に頑張っていました。1年生から出ていたので自信がなかったわけではないのですが、試合に出ているからといってプロに行けるわけではないですよね。

『もしかしたらプロ、ダメかもな』と思っていた時に、甲子園で準優勝したことが、自分の考え方と現実とのギャップが、いい意味で差が出来た時でした。甲子園のおかげで、『自分ももう一度、プロ野球選手になる』という目標に登っていくことができたと思います。

――その後、大学・社会人になってから同じような挫折はありましたか?

仁志 早稲田大に入ってすぐの時は、大学1年生と4年生では、とても大きな差がありました。それは、体力的なものもあるし技術的なものもある。当時の4年生たちは素晴らしい選手がたくさんいたので全く試合に出るすき間もなかった。
当時は主力の選手たちと一緒に練習もさせてもらえない、球拾いだけだったので、そういった毎日の状況で「このままでいいのか」と思いながらやっていた時期もありました。

このページのトップへ

【次のページ】 バルセロナオリンピックの候補選手になって

この記事についてTwitterでつぶやく この記事についてFacebbokに投稿する
【関連記事】
第94回 早稲田大学編「スター選手から名監督まで、彩に満ちた『WASEDA』のつながり」【前編】【先輩・後輩・同級生!つながりトリビア】
第36回 常総学院 (茨城)編「全国優勝2回を誇る常総学院のつながり」【先輩・後輩・同級生!つながりトリビア】
第3回 仁志 敏久氏に聞く!グラブの選び方!【仁志敏久から学ぶ 野球の基礎・基本】
第5回 「頑張る選手たちへ」【仁志 敏久が語る】
第4回 「強く、上手くなるために大切なこと」【仁志 敏久が語る】

コメントを投稿する

コラムトップに戻る サイトトップに戻る

コラム