「伝統校」の誇りと歴史を胸に戦う──100年以上の歴史を築きあげている高校野球。その中には幾度も甲子園の土を踏んだが、ここ数年は遠ざかり”古豪”と呼ばれる学校も多く存在する。
昨年から導入された低反発バットや夏の甲子園二部制など、高校野球にも変革の時期が訪れようとしている。時代の変遷とともに変わりゆく中で、かつて聖地を沸かせた強豪校はどんな道を歩んでいるのか。『高校野球ドットコム』では名門復活を期す学校を取材し、チームの取り組みや夏に向けた意気込みに迫った。
創部130年に迫る伝統校
スカイブルーを基調としたユニホーム。チームを象徴する「Y」の文字は130年近い歴史がある。“Y校”の愛称で知られる横浜商は、1983年に春夏連続の甲子園準優勝を成し遂げた。公立校の選手たちの躍進は、神奈川県のみならず、全国の高校野球ファンを魅了した。
創部したのは県内で最も古い1896年。1923年には神奈川県の学校で初めて甲子園出場を果たしている。1970年代から1990年代にかけては、常に上位に食い込み、横浜や法政二ら強豪私学とともに神奈川を牽引する存在だった。しかし、近年は私立の台頭もあり甲子園出場の機会は減少。97年春、夏は90年を最後に聖地から遠ざかっている。この現状に、昨秋から指揮を執る廣濱 優監督も、「学校もそうですが、地域住民の方々もY校が春夏準優勝した活躍をご存知の方も多くいらっしゃいます。『Y校のユニホームをもう一度甲子園で見たい』と言う声もあがっています」と悔しさを滲ませる。
一方、今春センバツでは横浜清陵が21世紀枠で甲子園初出場を果たした。県内の公立校が出場するのは、奇しくも横浜商の最後の出場となった97年春以来の偉業だった。
横浜清陵は横浜商と同じ京急線南太田駅が最寄り。互いの校舎が見えるほどの位置関係にある。そんな近隣の公立校が見せた躍進に「神奈川の強豪私学を倒したいと思って入部した」という松本 大誠主将(3年)は、複雑な心境を明かした。
「横浜清陵さんが出たときに『同じ公立としてY校に出て欲しかった』という声もありました。OB会の方にも応援されていますし、その期待に応えないといけないと本気で思っています」
知り合いも通い、練習試合もよく行うチームの活躍は刺激となった。「その場に自分たちは立つことができなかった。もし勝っていたらあそこに立っている可能性はあったので、夏にやり返したい」と逆襲を狙っている。
野球部専用グラウンドも持つ恵まれた環境
春夏連続での甲子園準優勝から42年、今でも毎年30人近くが入部する。今年も野球部員は計91人。なぜここまでY校に人が集まるのか。2018年から部長としてチームに携わり、昨夏の大会後から指揮を執る廣濱 優監督は色褪せないY校の伝統をこう話す。
「公立高校ですので、どうしても受験が関わってきます。その中で130年近くの伝統と恵まれている施設がありますし、公立高校から甲子園に行きたい、強豪私学を倒したいという熱い思いを持った選手がいてくれていると思っています。また水色のユニホームに憧れている選手もいますし、甲子園に出ていた頃の世代が父母になっていますので、このユニホームを着て欲しいという親御さんもいらっしゃいます」
特に家族兄弟の進学が影響していることも多い。投手陣の一角を担う山口 櫂投手(3年)も「兄がY校だったので、中学生の頃からY校と決めていた」と話し、「たまに試合を見ていましたが、お兄ちゃんのユニホーム姿を見てかっこいいと思っていました」と、小さなころから憧れを持っていたという。
チームとしても甲子園こそ離れているものの、2000年代も安定してベスト8に入る実力を保っている。直近でも23年には25年ぶりに夏ベスト4進出を果たすなど、徐々に県内の頂点奪取に向け力を取り戻しつつある。
また学校としても地域住民に応援されるだけあって、施設も充実している。選手たちは通常のグラウンドとは別に専用の野球場で汗を流す。さらには14年からスポーツや健康に関する専門知識を学べる「スポーツマネジメント科」が新設されたことで、トレーナーが常駐しているトレーニングルームも備わった。恵まれた環境下での練習に山口も「ウエイトルームやストレングスコーチがいるので、こうした環境で野球ができるのは恵まれている」と語っている。
「Y校」のプライドを胸に聖地へ
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