池田vs生光学園
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勝利をあげ校歌を歌う池田ナイン
池田、「想い」引き継ぎ、新たなスタイルで21年ぶり「光呼ぶ場所」へ!
15時12分、台風27号の影響で雲の厚みがクルクルと変わった坊っちゃんスタジアムに突然光が差し込んだ。光はスコアボード上に掲揚される徳島池田の校旗にも。ホームベース上に並ぶ20人の選手たちも。三塁側ベンチ前で並ぶ岡田康志監督、谷雅史部長、土井杏里記録員(2年)にも。肩を組む3年生OB・控え部員・マネジャーたちにも燦然と降り注ぐ。そして校歌はこの節を奏でた。
「ひかり ひかり ひかりをよばん」
奇跡のような瞬間だった。
しかし、彼らの成し遂げた27年ぶり5回目の秋季四国大会決勝戦進出は決して奇跡ではない。この5日間、徳島県大会準決勝で6安打しか放てず2対3と敗れた生光学園に対峙すべく、選手たちは台風で練習がほとんどこなせない中でも、狭い室内練習場でロングティーを中心に打撃練習に着手。
そのスイングも1回表に二死二塁から放った中越先制二塁打をはじめ4打数4安打の4番・岡本昌也三塁手が「1回対戦したときに色々と考えすぎてストレートに詰まったので、今回はストレートに絞って初球から振っていくことを意識した」と語ったように、個々が課題を意識し、この試合をイメージしたものである。
そこに岡田康志監督の的確なアドバイスが後押しした。これまでの2番から7番に下がっても全く下を向かず5回には試合を決める貴重なスクイズ、7・8回にも連続二塁打で計5打点と活躍した髙井克也二塁手(2年・右投右打・170センチ64キロ・美馬中出身)はその成果をこう語る。
「監督さんからは『生光学園は外中心の配球なので踏み込んでいけ』という指示がありました。7回はストレートの真ん中より、8回は少し変化した外角高めを上から叩くことができました」
敵将・山北栄治監督も「守りからリズムを作ることができなかった」というコメント通り、徳島池田は先発・福本真治(1年)からの3回4得点に続き、投打の大黒柱である2番手・髙橋謙太遊撃手(2年・主将)からも5得点。生光学園にとっては抑えた投手はPL学園高→大洋の左腕エースとして活躍した野村弘樹氏の長男である3番手・野村泰貴(2年・右投右打・178センチ81キロ・生光学園中<ヤングリーグ>出身)のみとあっては、勝算を見出すのは困難だったといえよう。
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157球8安打7四球8奪三振3失点完投の池田・名西宥人(2年)
徳島池田は守備でも最初にビックプレーがあった。
1回裏・生光学園の俊足リードオフマン・片山裕登中堅手(2年・右投左打・172センチ66キロ・生光学園中<ヤングリーグ>出身)の打球はゴロで三遊間真ん中へ。
が、そこに走り込んでグラブ先で捕球した上徳佳樹遊撃手(1年)は、「悪い体勢からでもいかに投げるか考えて動いていた」頭をすぐに行動へつなげ、回転しながらの一塁送球で遊撃ゴロ。「センバツのことは意識しないようにしていたが、心と身体が一致せず肩も軽すぎて」1押し出し含む157球8安打7与四球8奪三振3失点と苦しい投球に終始したエース・名西宥人(2年)にとって、このファーストプレーは「大きかった。みんなに助けられた」以上の価値を含んでいた。
そして韋駄天ぞろいで鳴らした3年生の想いも。「ウチは打てないので色々なことを絡めないと」と指揮官はあえて明示を避けたが、この試合での4盗塁はスタンドに多数応援に詰め掛けた3年生を中心に創り上げた新たなチームスタイルの継承を満天下に示すようであった。
マスクを被っては名西を時にはマウンドまで走って鼓舞し、主将としても「出来ることを1人1人やっていこう」と声をかけた3番・三宅駿(2年・171センチ68キロ・右投左打・池田中出身)は、「攻める野球ができていた」と自らの出来に胸を張った後、すぐに27年ぶり8度目の秋季四国王者がかかる決勝戦への意気込みを述べた。
「僕らの野球をして大事に闘っていきたい」
「色々な方々のバックアップがあって、一日でも早く甲子園に行きたい」(岡田監督)想いはそのままに。「やまびこ打線」のフレーズにとらわれることなく新たなスタイルを構築して、大きなハードルを超えた徳島池田。今は現役・OB・関係者・地域の皆さんが一体となった壮挙に拍手を贈ると同時に、選手たちが口々に話した「優勝して(初の)神宮に立つ」プロセスを心して見てみたい気持ちである。
(文=寺下友徳)