甲子園がコロナで中止になって再認識した「いなべ総合愛」 独自大会優勝メンバーが振り返る3年前

コロナで夏の大会が中止になった2020年。あれから3年の月日が経った今、当時の球児は何を考えているのだろう。当時の球児の言葉からその思いを伝えたい。
夏の全国高校野球三重大会決勝が7月27日に行われ、いなべ総合が宇治山田商に7対6で勝ち、7年ぶり3回目の夏の甲子園出場を決めた。甲子園こそ7年ぶりだが、3年前の三重県独自大会で優勝を決めたのもまた、いなべ総合だった。もちろん独自大会のため、甲子園に行けるわけではない。そんな当時のいなべ総合の副キャプテンが舘 駿介外野手である。
「毎年甲子園の時期になり、試合を見るたびにいいなあと思ってしまいます」
舘の正直な言葉である。舘が夏の大会中止を知ったのは、ネットを通したニュース速報だったという。当時、公立校であるいなべ総合はコロナのため練習も禁止されている状態だった。SNSなどを通して見るニュースや情報に、高校生の舘もなんとなく夏の大会が中止になるかもしれないと感じていた。ただ、実際に中止になると「覚悟はしていたのですが、いざ無くなるとショックでした」と事実を前に失意に打ちひしがれた。
甲子園が目標の球児といっても、様々なタイプがいる。甲子園の先に、プロ野球を目指す球児、大学野球を目指す球児、そして高校時代を野球と本気で向き合う最後の場として甲子園を目指す球児。舘はこの最後のタイプになる。
「僕個人的にはプロ野球選手を目指すというよりは甲子園を目指してきたので、今までの努力が無駄になると感じるような無力感がありました」
甲子園出場を、野球の集大成と考えていたからこそ、目標を失った喪失感は大きかったに違いない。
そんな舘をはじめとしたチームメートの心を、ギリギリで繋いでいたのが尾﨑英也監督だ。
「正直、甲子園がなくなり独自大会もどっちかわからないというタイミングなのに、尾﨑先生が諦めずに動画を通して指導していただいたことにはすごく感謝していて、先生も諦めずに独自大会を目指して前を向いているのが伝わってきて、そういう点ではすごく感謝しました。今思えば、当時僕たちもモチベーション維持が難しいなか、気持ちを切らさないように頻繁に動画配信をしてくれていたのではないかなあと思います」
尾﨑監督の思いが、いなべ総合ナインの心に届いたのは想像に難しくない。そして、尾﨑監督の思いだけでなく、このような状況で舘の心を支えたのはもう1つの思い「いなべ総合愛」である。
舘の言葉の端々に、この「いなべ総合愛」が溢れているのである。
「あの頃が一番楽しい時期でした、当時はとてもつらかった時期だったのですが、大学生になってみるとその頃が一番楽しかったなあと思えます。今年も、みんなで準決勝、決勝と応援に行って一緒に盛り上げたり、同学年のメンバーでもよく集まったりしますし、先生のところにも顔を出します。みんな、いなべ総合が好きなので、後輩たちにも頑張ってほしいです」
純粋な、いなべ総合への思いは止まらない。
「(当時)チームとしては少し低迷しかけていた時期で、自分たちの代が甲子園に行けなかったら低迷してしまう時期でした。チームスローガンでも「再興」でした。秋は延長13回で負けてしまい、センバツの望みがなくなり、絶対夏は甲子園に行こうという思いだったのです」
いなべ総合が三重県の高校野球界で、プレゼンスをいかに出せるのか、今どんな状況なのかを俯瞰して話してくれた。その言葉の端々にあるのは常に「いなべ総合愛」である。
このような色々な思いが織り成したいなべ総合は、独自大会で見事優勝を飾るのである。
独自大会で優勝を勝ち取ったものの、もちろん舘につきまとうのは目標がなくなり完全燃焼できなかったという気持ちであったり、毎年甲子園の時期になると、目に入ってしまう甲子園を見て、羨ましいと思う気持ちだろう。
だがそれでも、後輩たちの応援に駆けつけてしまうという。舘の話を聞くと、完全燃焼できなかった思いを「いなべ総合愛」が上回ったのだと思う。
甲子園がなくなった悔しさ、羨ましさを無理に昇華させる必要はないのかもしれない。「いなべ総合愛」があれば、これからも野球の神様は舘を見守り続けるのだろう。