148キロの逸材が富山にいた 富山第一・小林路春の転機となった中学2年生【前編】
2022年は154人の高校生がプロ志望届を提出した。ドラフト1位指名を早々に公表されている超高校級から、甲子園に手が届かずともプロのスカウトから熱視線を集めている逸材たちもいる。
いわゆる地方の逸材、原石が富山の強豪・富山第一にもいた。
最速148キロを計測する剛腕・小林路春投手(3年)。最後の夏は富山大会でベスト4に終わり、甲子園に手が届かなかったが、右スリークォーターからキレのある球と闘志を前面に出す気迫あふれる投球スタイルで打者を圧倒。注目が集まっている逸材である。
成長期を迎えた中学2年生、プロ野球選手が夢から目標となった

小林路春(富山第一)
ドラフトを前に「ドキドキと不安の両方があります」と落ち着かない心境で、運命の日を待っている。プロ入りに対して並々ならぬ思いがあるからだ。
小学3年生から野球人生が始まった。監督の誘いから野球道に足を踏み入れ、最初は野手としてプレー。通っていた小学校で一番だった俊足を生かしたセンターの守備で活躍していたという。
平日も練習をするほどの厳しさで、放課後も遊べなかったというが「とにかく楽しかった」と家族のだれもやっていなかった野球にどんどんのめりこみ、夢はプロ野球選手になった。
北部中に進学後も迷いなく野球部に入部した。俊足は健在だったが、「中学時代はパワーヒッターで長打をどんどん飛ばしていました」とプレースタイルが一変した。成長期に伴って体が大きくなったからだ。
入学時は150センチ台で、2年生に進級直後も160センチちょっと。小柄な選手だったが、「秋ごろには170センチ後半まで伸びました」と急激に大きくなり、卒業するころには180センチまで到達。3年間で30センチ近く伸びることになったが、この成長期があったから、野球人生が変わった。
「2年生の秋ごろに先生から、ピッチャー転向を勧められました。元々、投手は好きだったので、『どれくらい通じるんだろう』と凄くワクワクしていたのを覚えていますし、このころに『お前はプロ野球選手になれる』と言ってもらったんです。それが心に響いて、夢が目標に変わりました」
ここから、夢だったプロ野球選手は目標に変わり、小林は目標に向かって突き進んでいくことになる。
高卒プロ入りへ、富山の高校野球を盛り上げるための目標

小林路春(富山第一)
投手としてプロ野球選手を目指す小林は、当時最速は120キロほどだった。「スピードが出て抑えられていた」というが、ソフトバンク・千賀滉大投手(蒲郡高出身)を真似するなど試行錯誤を繰り返し、中学3年生の時は最速131キロまで到達。11月に静岡で開催された第19回全国中学生都道府県対抗野球大会への出場を果たし、ベスト4を経験した。
プロ野球選手の目標を実現するために大事な進路選択。県外も視野に入れて、レベルの高いチームを希望しているところに、多くの学校からのオファーをもらった。数多くの学校の中で「ここにきてプロに行こう」という一言と、熱意に惹かれた富山第一を選んだ。
首都圏をはじめとした全国の激戦区と比較すると、どうしても全国的には注目度が下がってしまう富山からプロへ。それでもプロ野球選手の目標を実現するために、立てた誓いがあった。
「150キロという目標を立てました。プロ入りするために、スピードはもちろんですが、キレにもこだわりました。数字だけが本物ではないので」
プロ野球選手という目標に導いた中学の恩師からも「富山の高校野球を盛り上げてくれ」というメッセージをもらっていたことも、150キロという数字にこだわった理由だった。
プロのスカウトの目に留まるために、キレのある150キロを出す。このために富山第一で高校野球が始まったが、新型コロナウイルスで春、そして夏の大会でデビューする機会はなかった。秋からデビューとなるかと思われたが、高卒プロのために思い切ったことをする。
入学直後は181センチ、65キロとかなりの細身。それでも132キロを計測していたが、中学3年生の時に全国で投げたときも「連戦で体がきつかった」こともあり、最初の課題は体づくりだと思っていた。首脳陣も同じように考えており、「勝負は2年生の春からだ」ということで、ベンチから外れた。
走り込みや体幹トレーニングなど、フィジカル強化を徹底した。全体メニューに加えて、自分だけのメニューを組み込むなど、とにかく体づくりに時間を割いた。「スタンドから応援していて、『ここで投げれば、抑えられんじゃないか』と思うこともあって、速く投げたかった」と急ぐ気持ちをこらえてフィジカル強化を行い、2年生の春、ついに公式戦デビューを果たす。
(取材=田中 裕毅)