時代は平成になってまもなく10年を迎えようかという1996(平成8)年。世の中はバブルが崩壊して、それまで1年半続いていた社会党政権の村山富市首相が退陣して、橋本龍太郎内閣に代わった時代でもあった。消費者物価が、71年以来の初のマイナスとなったという年でもあった。
そして、6月の閣議では消費税が翌年の4月1日から5%に上げることが正式決定されたという時代でもある。金融界では大手の東京銀行と三菱銀行が合併して東京三菱銀行が発足するなどの動きもあった。
一方では、6年後にサッカーW杯の日韓共催が国際サッカー連盟で決定された。MLBのドジャースで活躍していた野茂英雄投手がロッキーズ戦でノーヒットノーランを達成して日本中が沸いたこともあった。高校野球で言えば、夏の大会から甲子園で女子マネージャーのベンチ入りが認められるようになったという画期的な年でもあった。
そんな年の全国高校野球。第78回大会である。
この年は、「群雄割拠」「新旧交代」などという四字熟語で語られるような大会でもあったともいえようか。確かに出場校を見てみると、茨城県の水戸短大付、愛知県の愛産大三河、東東京の岩倉、広島県の高陽東などが、伝統校がひしめく地区から初出場を果たしている。
その一方で県岐阜商はじめ松山商、高松商、福井商、富山商や熊本工、北海というような戦前からの伝統校も出場を果たしていた。倉敷工や防府商などの実業校も出場を果たしていた。
まさに、混然とした中での大会となったのだが、決勝の顔合わせは戦前からの名門校対決となった。愛媛の松山商と熊本の熊本工との対戦である。いわば、中等野球の時代をリードしていた商業校と工業校の代表格といってもいい存在同士の対戦となった。
ここまで松山商は8対0東海大三(現東海大諏訪) 6対5東海大菅生 8対2新野 5対2鹿児島実 5対2福井商 と下してきて決勝進出。熊本工は12対4山梨学院大附 5対1高松商 7対6波佐見 3対2前橋工 と勝ち上がってきての進出だ。
この両校の勝ち進んでいった中の対戦校を見てもおおよそわかるように、この大会では公立校が健闘していた。ベスト8の顔ぶれとしては両校はじめ、福井商、前橋工、高陽東、波佐見と6校が公立校だった。
公立校勢もまさに新旧入り乱れていたのだが、他には鹿児島実と長崎海星が残っていた。ベスト8に九州勢が4校残った大会でもあった。
さらにはベスト4では松山商と福井商、熊本工と前橋工という商業校同士、工業校同士という対戦となった。これも古くからの高校野球ファンの興味を刺激する要素の一つとなったとも言えようか。
そして勝ち上がったのが戦前からの伝統校の松山商と熊本工だった。実は、この年以降は甲子園で公立校同士の決勝も実業校同士の決勝もない。そういう意味では、高校野球の歴史という観点からも非常に意味のある年の大会だったとも言えよう。
[page_break:奇蹟のバックホームで語り継がれる決勝戦]今もなお、高校野球ファンの間で語り草となっている好試合の一つとして、「奇跡のバックホーム」と称えられているスーパープレーが出たのがこの試合だった。
熊本工は、戦後は初で59年ぶり3回目の決勝進出である。松山商は水口栄二選手(その後近鉄など)らがいた86年以来の決勝進出である。
初回、松山商は熊本工の園村淳一投手の乱調に付け込んで3点を先取。3連続四球などもあって押し出しで得点を与えるなど熊本工としては誤算の立ち上がりとなった。それでも、2回以降は立ち直って0に抑えていく。そして、その間に熊本工も2回と8回に1点ずつを返していく。
そして1点差で迎えた9回、熊本工はあと一人という場面まで追い込まれていたが、6番に入っていた1年生の沢村幸明選手が起死回生のソロホーマーを放つ。
こうして試合は延長戦に入っていくのだが、この一発で流れは熊本工に傾いていった。10回、熊本工はこの回から先発の新田浩貴投手に代わって背番号1を背負う渡部真一郎投手がマウンドに立つ。熊本工は一死満塁と攻め込んで3番本多大介選手の一打は大きな右飛となった。「サヨナラ犠飛で熊本工が優勝」と、誰もが思った一打だった。
ところが、この回から守備に着いていた矢野勝嗣右翼手は、深い位置から少し前に走り込んで捕球。打球も浜風に少し戻されたかもしれない。捕球するや否や矢のように送球を本塁へ送ると、これがダイレクトで石丸裕次郎捕手のミットに納まり、滑り込んできた三塁走者はタッチアウト。「もう一度やれ」と言われても、まさに、二度と出来ないような奇跡のスーパー返球だったのだ。
ピンチを防いだ松山商、次の回はその矢野選手からだったが、二塁打で出て完全に流れを取り戻した。一死一三塁から星加逸人選手のセーフティースクイズでリード。さらに2点を追加した松山商が、三沢との引き分け再試合以来の27年ぶりの全国制覇を果たしたのだった。
こうして、昭和を代表する公立の商業校と工業校の決勝は、平成新時代に劇的な形で松山商の優勝となった。そしてまた、20世紀もあと4年。高校野球も時代の中で微妙に変革を遂げていっている時代のことでもあった。この2年後、横浜に松坂大輔が現れて春夏連覇を果たすことになる。
記事=手束 仁
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