入団4年目の今季、福岡ソフトバンクホークスの熾烈な外野手争いを勝ち抜き、定位置をつかんだ上林 誠知。オールスターにはファン投票で選ばれ、規定打席にも到達。侍ジャパンの一員として、「ENEOS アジア プロ野球チャンピオンシップ」では全3試合に5番でスタメン出場した。宮城・仙台育英高時代から世代を代表する好打者として注目されながらも、苦労も多かった。その苦悩を間近で見てきた恩師・佐々木順一朗監督に上林について語っていただいた。
【VOL.1】では仙台育英入学当時、【VOL.2】では高校3年の夏を振り返っていただいたが、最終回である今回は卒業後の活躍について語っていただいた。
■恩師が語るヒーローの高校時代 上林 誠知
【VOL.1】「上林には4番打者が一番合っていた」
【VOL.2】「神様に見えた瞬間がある」
不調でもここぞという場面で執念を見せた
春から夏にかけて、飛距離がグンと伸びた。この頃、佐々木監督は「上林の飛距離がとんでもないことになっている」と話している。いくら金属バットとはいえ、フリー打撃では中堅125メートルの先にある高さ10メートル以上のバックスクリーンを越す打球もあった。「歴代で上林だけ」と佐々木監督。ホームから160メートル以上離れた右翼後方で仙台育英学園秀光中等教育学校の野球部が練習していると上林の打球が飛び込んでくることもあった。
ところが、春の宮城県大会でも本塁打も放つなど、復調の兆しを見せたが、秋や春先のようにはいかなかった。死球も増えた。宮城大会の組み合わせ抽選会には、直前に死球を受けていたため、右腕に包帯を巻いてやってきて、周囲を驚かせた。
万全ではない中、宮城大会を迎えた。「でも、上林のすごいところは」と佐々木監督。
「またおかしくなって、調子が悪い中、夏の大会に突入するんだけど、決勝の初回に5点を取られて、これでもう高校野球が終わるのかという時の集中力はすごかった。1対4の5回に2死満塁で上林に回ってきて、ここで上林が打たなかったら、今日、負けだなと思ったんですよ。でも、打球は一塁線を抜くんだよね。あの瞬間に、この試合、なんとかなるぞと思えました。上林は夏にげっそり痩せましたが、その痩せた体で、決勝の0対5からの最後の踏ん張りと本人が思ったのかもしれない。ここで打てなかったら終わりなんだと思って、8回の打席にも立ったと思います。1点差に迫るホームランを打つけど、あのホームランは執念というか。上林の凄さを見たホームラン。ファウル、ファウルでフルカウントからのホームランでした」
準々決勝の大崎中央戦も初回に5点を失い、0対5からひっくり返したが、決勝の柴田戦も同様だった。ただし、決勝は好投手・岩佐政也(仙台大)が相手。「岩佐くんが絶好調でしたね。3回まで、ウチはパーフェクトに抑えられた」と佐々木監督。それがじわりじわりと追い上げて、最後は小林がファウルで粘って四球を選び、サヨナラ押し出しで優勝を決めた。
なお、準々決勝も決勝も初回に5点を失ったのは、今年のドラフトで阪神から1位指名された馬場皐輔(仙台大)である。馬場と、相手エースの岩佐は大学でチームメイトとなり、仙台大の2本柱を形成した。そして、4年後——。この秋の明治神宮大会出場を決める東北地区代表決定戦で仙台大は富士大と対戦した。岩佐が先発し、決勝2ランを打たれて敗れるのだが、打ったのは4年前の夏に押し出し四球を選んだ小林だったのだから、球縁とは深いものだ。
[page_break:甲子園、U-18での屈辱を乗り越えて]
甲子園、U-18での屈辱を乗り越えて
上林 誠知
話を戻し、劇的なサヨナラ勝ちで甲子園行きを決めた仙台育英。しかし、上林の調子は戻らなかった。
「上林の人生を左右したと思います。まぁ、だから、今、ソフトバンクでいいんだろうけど。春も夏も、全国大会に行った時にダメでしたからね。夏は浦和学院(埼玉)と初戦を戦ったわけです。10対10の8回、無死満塁で上林、小林、水間が三者連続三振(苦笑)。あれはなんとも言えないなぁ」
チャンスを活かせぬまま、10対10で迎えた9回。無死一塁から熊谷の左越え二塁打でチームはサヨナラ勝ちした。しかし、上林自身は5打数0安打。敗れた2回戦の常総学院(茨城)戦も4打数1安打で終わった。
「だから、悔しい思い出しか甲子園にはないし、彼の実力からすれば、ドラフト上位のはず。ソフトバンクに4位で内野手として“拾って”もらったことにつながるのが、彼の全国舞台での絶不調なんだろうなと思います。練習試合を観に来ていたスカウトの人たちの間では完全に上位なのに、多くのスカウトが見ている時に打っていない。その後の日本代表では、同僚の敬宥が外野を守り、守備位置を奪われる屈辱を味わっている。そういう悔しい思いをしたことに、彼が持っているストイックな部分と相まって、くじけない心がもっともっと出来上がっていった感じがしますね。今の彼に送る言葉は、『もっとたくましくなれよ』かな」
今季、高卒4年目で定位置をつかみ、134試合に出場。オールスターにはファン投票で選ばれ、規定打席にも到達した。2年目は15試合、3年目が14試合だったことを考えれば、立派な数字に見える。前年までと比べて送球が安定し、捕殺はパ・リーグ1位。3位との差はついたが、ゴールデン・グラブ賞でもパ・リーグの外野手部門で4番目に投票数が多かった。しかし、前半戦の終わり頃から後半戦にかけて、打席の内容は褒められるものではなかった。1軍の戦力として初めて1シーズンを過ごし、多くの課題を残した。
[page_break:ほんのちょっとことで左右されないたくましさが欲しい]
ほんのちょっとことで左右されないたくましさが欲しい
ドラフト会議でソフトバンクから4位指名され、佐々木監督と握手
本人も納得いくシーズンではなかっただろうし、高校3年間を見てきた佐々木監督もそれは強く感じている。
「なんていうかな。プロに内野手として入ってサードをやった。サードってこうやってやるんだとか苦労したと思うんです。サードだってなんだって、捕ればいいし、打てばいいんだという感覚をその時に得られればよかったんだけど、外野に戻ってから安心して打つようになったんだよね。そういうところを踏まえると、ほんのちょっとした一言とか、ほんのちょっとした境遇で上林は左右される状況にある。ほんのちょっとのことで左右されないたくましさがほしいな。1つだけ褒めるとすれば、前よりインタビューの受け答えが上手くなっているけどね(笑)。たくましくなっていくと、もっと計算できる選手だと思うんですよ。大スターになれる要素は十分にある。だから、たくましくなれ。失敗しないようにして失敗している上林しか見ていないのでね。少しの失敗はいいじゃねぇかというくらいの上林を見てみたいなと思いますね。変化を恐れたら終わりなので。上林が大好きなイチロー選手でさえ、毎年、変化していく。変化がなくなった時が引退なんだろうなと思いますね」
おそらく、佐々木監督に直接、言ったことはないだろうが、上林は佐々木監督と出会ったことで人生が変わったと感じている。変わったというよりは、創られたという方が適切かもしれない。それを伝えると佐々木監督は「そうなの?」と笑った。そして、「水戸黄門の主題歌の歌詞を覚えてほしいね」と注文を出した。佐々木監督は「勝利のうた」という詩を気に入っている。また、徳川家康を崇拝し、家康の遺訓も監督室に置いている。そして、時代劇『水戸黄門』の主題歌「ああ人生に涙あり」も室内練習場に、数々の言葉とともに飾っている。
「水戸黄門の歌詞が、僕の中では究極なんですよ。涙のあとには虹も出る、なんてね。悪いことばかりは続かないんだ、と。2番の人生勇気が必要だ、とか。1番も2番も3番も、完璧なんですよ。2番は『あとから来たのに追い越され、、泣くのがいやならさあ歩け』とあるけど、追い越されるのが嫌なら、歩くしかないんだ、と。3番なんて、人生そんなに悪くないものだとなるんですよ」
上林は高校時代、佐々木監督のミーティングに心を打たれてきた。今、プロの世界を生きている中で、当時はただ聞いていただけの話が染みているようだ。
「正直に言うと、僕には手が届かない場所に今、行っているので。羨ましいですよ。とりあえず、僕もプロを目指した男として言わせてもらえば、プロに行った選手たちがスランプで悩んでいるとか聞くと、ちゃんちゃらおかしいなと思う。夢を1回、実現したんだから。今、夢の中にいるんだから、頑張れと言いたいんですよ」
夢を叶えられなかった人間、夢を変えた人間をたくさん見てきた佐々木監督。高校時代、上林がプロになるという夢に向かっていた姿も知っている。5年目のシーズンに向け、再び、スタートを切る教え子へ、恩師の言葉は厳しくも温かかった。
(取材・文=高橋 昌江)

関連記事
・仙台育英学園高等学校 上林 誠知 選手 「神様からプレゼントをもらう準備」