長谷川選手のプロ志望届を出そうと決めた理由
――現在の心境は。
長谷川 拓帆選手(以下、長谷川):あまり深く考えていません。緊張もあまりありません。
――プロ志望届を出そうと決めた理由は。
長谷川:最少失点に抑えることには自信がありました。この夏の甲子園で結果は出せたと思ったので出そうと思いました。
――仙台育英での3年間はどうでしたか。
長谷川:投球フォームだったり、力の入れ具合だったり、先生(佐々木順一朗監督)にアドバイスをもらいながら、そのアドバイスをどうやって自分のものにしていくかというのは考えていました。
――仙台育英に来て良かったことは。
長谷川:自主性を重んじてやっているので考える力がついたかなと思います。それは野球以外の面でもそうで、しっかり話せるようにもなったと思います。
――ただ、順風満帆ではなく、2年生の6月には膝の怪我もありました。秋は県大会からベンチ入り。地区予選はスタンドから応援でした。
長谷川:最初は3日で治ると言われたんですけど。膝は腫れて、自転車も漕げなかったので焦りました。秋の地区予選は競った試合が多く、何しているんだろうなと見ていて思いました。勝てるかどうか、不安だったので、自分がチームを変えなきゃと思っていました。やっぱり、ピッチャーが良ければ点数は取られないので。周りからも早く戻ってきてほしいと言われていたので、それが励みになって頑張れたかなと思います。出始めてからは野球の楽しさだったり、試合ができていることに感謝の思いだったりが出てきました。
――県大会は背番号10で復帰。初戦は1対0の辛勝でした。
長谷川:先生がいろいろ言ってくれてチームが変わったと思います。投げ始めてからはチームに恩返しというか、支えられたかなと思います。
――東北大会からエースナンバーを付けました。
長谷川:はい。県大会は背番号が10番でしたが、エースという気持ちでいました。それでも、やっぱり、10番なので悔しかったですね。東北大会で1番をもらえてやっとだなという感じがありました。でも、10番で頑張れたから、1番になっても天狗にならずにモチベーションを高く持ってやっていけたと思います。
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目標にされる選手になりたい
――オフシーズンに頑張ったことは何ですか。
長谷川:やっぱり、投げないと感覚はわからないと思うので、投げていく中でフォームの変化や指のかかりなどを気にしながら練習していました。
――センバツはどうでしたか。
長谷川:それでも、フォームが今とは違っていて、球がいかなかったんですよね。フォームがおかしいということだったと思います。中学から神宮の時のフォーム、そしてセンバツと時期によって違うので、動画を父に送ってもらいました。それを見ると、センバツの時は腕を高く上げていたんですけど、それだと自分に合わないと気づきました。そして、力を抜いて、力が入るポジションを見つけることができました。
――春の公式戦は?
長谷川:センバツで悪かったところを実戦で試さないといけないと思ったので、フォームの見直しなどはしました。
――夏はどうでしたか?
長谷川:宮城大会はプレッシャーがありました。焦りなですかね。絶対に甲子園に行かないといけないという中、夏は何が起こるかわからないので力が入ってしまったと思います。バッテイングは好調でした(笑)。でも、そこで苦労したから甲子園はいい意味で気楽に投げることができたと思います。緊張はありませんでした。
――この先、どんな野球人になっていきたいですか。
長谷川:目標にされる選手になりたいと思います。自分は野球が好きだからやっています。プロは小さい頃からの憧れでもありますし、野球をやっている人ならば一番の目標。そして、野球をやっている人なら一度は目指したことがある場所だと思います。そこで野球ができれば最高です。
(インタビュー/文・高橋 昌江)

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