鎮西vs八代
福士幸希(鎮西)
「ここなら、甲子園に行ける」
そう思った福士は自ら志願し、鎮西の入試を受け、晴れて鎮西野球部に入部することとなった。
その実直な性格と野球に取り組む姿勢はすぐさま首脳陣の目に留まり、福士は高校入学直後からいきなり背番号20をつけ、ベンチ入りを果たした。それからというもの福士はベンチ入りから一度も外れたことがない。そして背番号20を背負い続けた。
試合では三塁ランナーコーチとして、また、練習では学生コーチのようにノックバットを持って仲間のためにノックを打つなどサポート役としてチームのために精力的に動いた。
普段は真面目なキャラだが、一歩グラウンドに足を踏み入れたら人が変ったように選手を引っ張っていく。プロ注目の柿原翔樹らレギュラー選手にも容赦ないゲキをとばすなど首脳陣はもとよりチームメイトからの信頼も厚い。
林投手(鎮西)
そしていつしか「指導者の道を歩みたい」と思うようになった福士。
その中で、プレーヤーとしての気持ちもわからないといけない。そう感じ始めた。
ある時は、チームのために、ある時は、一選手としてレギュラーになるために陰でたゆまぬ努力を続けた。
そして初めて背番号20をつけてからやがて2年が経とうとするこの春、福士は控えのセカンドとして“背番号14”をつけた。番号は二ケタだが、なにより実力でつかんだ“背番号14”なのだ。
この試合、出場機会こそなかったが、自ら「自信がある」という名ランナーコーチぶりを発揮し、三塁コーチャーズボックスで数えること9回、大きな弧を描き、右腕をグルグルと回した。
7回コールド、9対2―。
鎮西は春の熊本大会をコールドで発進した。
試合終了後、鎮西ナインは、勝利の余韻に浸ることなく、すぐにバスに乗り込んだ。
行先は鎮西グラウンド。
次の試合に向け、福士は今日もナインにゲキをとばしながら、泥まみれに白球を追っている。
チームにとって欠かせない福士の背番号をまず決める。
そこには言葉だけでは表せないチームとしての底力がにじみ出ていた。
(文=PNアストロ)