中村(高知)「想いを1つ」に21世紀枠で 40年ぶり2度目のセンバツ出場!
40年ぶり2度目の選抜出場が決まった中村(高知)
中村(高知)「想いを1つ」に21世紀枠で 40年ぶり2度目のセンバツ出場!
15時1分。高知県立高知中村高等学校校長室。40年前「24の瞳」でセンバツ初出場準優勝を飾った当時指揮官だった市川 幸輝氏。2001年に「1976年センバツの感動をもう一度」という想いで創立された「高知県中村高校野球部を支援する会」松岡 勲会長も見守る中、上岡 真哉校長のデスク上にある電話が鳴った。
「応援してくれる地域の方々と一緒に出場したいと思います。ありがとうございます」21世紀枠による40年ぶり2度目のセンバツ出場が決まった瞬間である。
その後、上岡校長は500mほど離れた横山 真哉監督と野球部2年生部員13名が待つ第二グラウンドへ。「出場おめでとうございます。地域の方々と一緒に、ふるさとのプライドを持って闘いましょう」と祝辞を述べると、100人近くが詰めかけた地域の方々からも大きな拍手が起こった。
また、ほぼ同時刻には1月28日まで行われている東京の修学旅行宿舎で待機していた山本 泰道部長と野球部1年生部員7名にも吉報が伝えられ、チームは約1000㎞をつないで聖地への道を切り開いたことを素直に喜んだ。
「こんな経験はしたことがなかったので緊張したが、こんなに多くの人たちがかけつけてくれた想いを感じた」と語ったのは主将の山本 泰生(2年・外野手)。センバツに際しては「どんなピンチになってもあきらめずに闘いたい」と強い決意を述べれば、エース・4番の北原 野空(2年)は「自分のピッチングでチームにテンポを与えたい」と宣言。また、横山監督は「甲子園は勢いだけでは勝てないところだと思うので、もう一度基礎から鍛えあげたい。できる限りの準備をしてこれまでシード校を倒すことに挑戦していたように、挑戦を続けたい」と晴れ舞台での「挑戦」を誓った。
そして取材が終わると2年生は17時過ぎから寸暇を惜しむように練習を開始。1年生も「都内での課題学習に出かけていきました」(山本部長・談)。この日、グラウンドにもか掲げられている「想いは1つ甲子園」を実現した高知中村の20人は3月19日まで51日間をすべて学習に変え、「40年ぶりに聖地で勝つ」ための闘いへと向かっていく。