「日本一、心をもった日誌」 都立小山台高校 (3) 野球ノートに書いた甲子園に掲載中!
野球ノートに書いた甲子園シリーズの累計20万部突破を記念して、「野球ノートに書いた甲子園」第一弾に登場する“都立小山台”のお話を特別にWEBにて3回連載で公開中!前回は、日誌から成長していく選手たちの様子や、班日誌の活用を紹介してきましたが、今回は、都立小山台で生き続けるひとりノート。そして、夢を叶え始めていく選手たちの日誌の様子をお届けします。
エースが綴った試合前日の思い
2年生ながら、今年の夏はエースとしてマウンドに立ち続けた伊藤 優輔。3年生の先輩たちにとっては最後の夏。
その初戦、伊藤は7回無失点と好投をみせた。
そして小山台高校は2回戦で、日体荏原高校と激突する。日体荏原高校は前年秋に東京都大会4強入りしているチーム。東東京きっての好カードに、多くの観客が[stadium]大田スタジアム[/stadium]に詰めかけた。
伊藤優輔投手(当時)
伊藤は試合前日、ノートにこう書いた。
7月10日(水)
明日は夏大の二回戦だ。
初戦はとても良い形で勝つことができた。明日の相手は日体荏原。秋にベスト4まで進出した強豪だ。
先生は5点は取られるとおっしゃっていたが、自分は完封するつもりで挑みたいと思う。
相手は自分たちよりもレベルが高いのだから、自分たちは挑戦者の気持ちでしっかりと喰らいついていこう!
試合は、投手戦となった。
先制点を奪ったのは、小山台高校だ。
3回、7番山本楠のスリーベースヒットと金子のタイムリーで1点を先制する。
1対0で迎えた9回表。日体荏原高校は、ツーアウトランナーなしから、伊藤を襲う。連打を浴びせ、ランナーふたりを置くと、続く打者が四球を選んでツーアウト満塁。さらに、二者連続の押し出し四球で、1対2と土壇場で逆転をした。
1点を追う展開となった9回裏は無得点。小山台高校は、ここで力尽き、2回戦で早くも姿を消した。
7月11日の伊藤優輔投手のノート
7月11日(木)
vs日体荏原
今日で夏大が終わってしまった。
三年生や応援してくれた方々に本当に申し訳ないことをしてしまった。
今日の負けは完全に自分のせいだと思う。
最終回は、完全に気持ちの緩みがでてしまった。
あそこでもう一度気持ちを引き締められていたら、あのまま勝つことができたと思う。
やはりそういった部分で弱さがでてしまったのだと思う。
今日負けてしまった以上は、明日から新チームの始動だ。この夏の悔しさを糧として、絶対にセンバツ出場を勝ち取りたいと思う。
全員が一つの目標に向かい努力しなければ、選抜へはいけない。
夏の間で全員がセンバツを本気で目指せるようにしていこう。
夏の敗戦から10日が経った。
新チームになり、キャプテンに就任したエースの伊藤は、班日誌や個人日誌には、誰よりも『センバツ出場』への思いを書き綴っていた。
「負けた日から、普通に生活をしていても、あの最後のシーンが突然頭に浮かぶんです。もう一度、あの瞬間に戻れたら…って考えてしまうこともある。だけど、あの試合で学べたことを無駄にせずに、先輩たちを甲子園に連れていけなかった分、今度は秋季大会で勝ち上がって、来年のセンバツを目指したい。先輩たちや応援してくれている方々に喜んでもらえるように、恩返しがしたいです」
生き続けるひとりのノート
選手が選手を育てる小山台高校の日誌において、いまも、そしてこれからも生き続けているあるひとりの生徒の日誌がある。
2006年6月3日、シンドラー社のエレベーター事故により、亡くなった市川大輔君(当時16歳)の日誌である。
事故から7年が経ってやっと、2013年3月に、刑事裁判初公判が開かれたが、いまだ公判は決まっていない。親族や小山台高校の関係者の人々が中心となって結成された「赤とんぼの会」は、事故の原因究明と再発防止を訴えて続けている。
その市川君の高校生活14カ月間の日誌は、『日本一、心をもった日誌』として、毎年、小山台野球班において受け継がれている。
〈市川大輔君が書いた班日誌〉
9月1日(木)
この夏を振り返ると、ついに一度も先輩たちと遠征に行けなかったことを思い出します。自分には何が足りないのか。どのような選手になることが必要とされているのかを考えていきたいと思います。一人一人が役割を自覚すべきだと思います。
9月13日(火)
秋大会の第1戦が近づいてきました。相手がどこであろうと関係ない!
一戦一戦を全力でそして全員で戦う。これが小山台スタイルだと思います。言うなれば、1人1人が今、この時を戦うのです。〝今〟に勝たなければ、「次」は来ないからです。
1月11日(水)
練習時間も少ないし、夏までの時間も、もうわずかだ。
少ない時間でどれだけ強豪に喰らいついていけるのだろうか?
それは、個人1人1人の努力次第であるし、それでも量では勝てないから、毎回の練習での集中力。
つまり、〝質〟で喰らいつくしかない。
さらに先生の言っていた「継続できる努力」の継続という言葉を意識するべきだと思う。
次の夏が最後となる2年生に負けないように頑張りたいと思う。
2月6日(月)
班室前のボードの今日の一言のところに、「今、夢をあきらめた人は、次に何をあきらめるのだろう」という言葉がある。
この言葉は今、自分に必要である言葉に思えた。
正直に自分は、継続することがあまりできないので、ツライ時でも、この言葉を思い浮かべて頑張りたいと思う。
5月27日(日)
夏の大会まで、もう時間がなくなってきた
いかに自分に厳しくできるかが一日を生きるのに大切なことだと思う
限られた一日という時間を他人にやさしく自分に厳しくできるうようにする
そしてその一日が有意義であるようにすごして行きたいと思う
取材の翌年。2014年春、小山台は初の選抜出場を果たした
これが、市川君が班日誌で書いた最後のページとなった。
心を育てるためにスタートした野球日誌は、福嶋監督が思い描いた野球日誌の役割を超え、気づけば、選手が選手を育てる土壌が生まれた。
どんなに練習環境が限られたものであったとしても、小山台高校の選手たちは、それを甲子園に行くためのハンディだとは捉えない。
環境が選手やチームを作るのではなく、心を育てることで、チームは強くなることを彼らは知っている。チームを強くしようという思いが、個々のレベルアップへの近道となることも。そして、その心は、決してひとりで育てることはできないことも、理解している。
だから、彼らは野球日誌を書き続ける。
〝日本一、心をもった日誌〟を書き続けた先に、甲子園の文字が待っている。
(文=安田未由)