「日本一、心をもった日誌」 都立小山台高校 (2) 野球ノートに書いた甲子園に掲載中!
野球ノートに書いた甲子園シリーズの累計20万部突破を記念して、「野球ノートに書いた甲子園」第一弾に登場する“都立小山台”のお話を特別にWEBにて3回連載で公開中!前回は、都立小山台の練習環境や、野球日誌に取り組んだきっかけなどをお伝えしましたが、今回は、その続きとして、日誌から成長していく選手たちの様子や、班日誌の活用を紹介していきます。それでは、第1回からの続きをご覧ください。
日誌から成長していく選手たち
都立小山台の野球日誌
以前、福嶋監督はいい日誌についてこう語っていた。
「いい日誌というのは個人のことより、チームのことが多めに書かれています。どうしたらチームが一つになるかとか、どうやったら日本一のいいチームになるかとか。そうなるために自分はどうすればいいかということが自然と書かれている日誌が、『日本一、心をもった日誌』ですね」
また、当時の野球班顧問の田久保 裕之先生はこんなことを教えてくれた。
「不思議なんですよ。いい野球日誌を書く選手って、3年生になると必ず活躍するんです。秋や春はメンバーに入っていなくても、最後の夏が近づくといきなり打ち始める。なんででしょうかね、不思議ですよね」
事実、今年(2013年)の夏は、初戦で活躍した9番金子 大志や捕手の松本 拓郎は、春の時点では補欠だった。2回戦の日体荏原高校戦で失制点のきっかけとなるスリーベースヒットを打った山本 楠も背番号は2桁だった。福嶋監督は言う。
「彼らは日誌から成長したんです」
実際に山本の日誌は、首脳陣が4月に「3年山本 楠君特集」というタイトルで4ページ分の日誌をプリントアウトして、部員たちに共有させるほどのレベルになっていた。そこには、山本がミーティングで感じた正直な気持ちとチームに対する鼓舞の言葉、民主主義として“考える義務”についての意見など、幅広い視点で思いが綴られていた。
しかし、山本も1年生のときから、ここまで書けたわけではない。毎日、日誌を書き、他のメンバーの日誌を読むなかで、一歩ずつ日誌も成長してきた。それが、山本の心の成長へとつながり、結果として最後の夏の大会での大事な場面でのヒットとなったのだ。
字は人の心をうつす
2013年夏の大会で、初めて選手としてベンチ入りを果たした飯塚 雄太も日誌によって成長したひとりだ。
「1年生の最初は、書き続けることにどんな意味があるんだろう? って思っていたんですけど、半年経ったときに、これを書くことで自分が変われると気づいたんです。自分の壁を乗り越える手助けをしてくれることもあれば、チームが進むべき方向を正してくれることもある。日誌は小山台にとって、もうなくてはならない存在です」
1月18日(金)
いつの間にか、日誌が“先生に見せるもの”になってしまっていないだろうか。
日誌はチームの心を磨くものであり、練習時間の短い小山台にとって、チームを1つにするための重要な道具である。これが機械的になるのだけは避けたい。
日誌って自分1人で書いても成長している気がしない。
でも続けていけば、少しずつ成長していく。実際1年生の自分だったら、今の文章は書けないと思う。
「継続は力なり」技術だけでない。心だって鍛え続けていれば、心も成長していくものだと思う。
この飯塚の記述に、日誌交換のパートナーは、ノート1ページ分を使って、こんな言葉を書き込んでいる。
飯塚の日誌を読んでみて、改めて飯塚がしっかりと自分の考えを持った人間だと思った。それに加えて、一番良いなと思ったのは字がキレイなことだ。見てのとおり、俺の字はこんなもんだ。「字は人の心をうつす」という言葉のとおり、飯塚の日誌には飯塚のキレイな心が字となって表れているのだと思う。
日誌にこれだけたくさんのことを書けるということは、それだけ多くのことに気付いているということだと思う。
ミーティングでの発言の件については、飯塚がたてた目標が高度だからというのが原因で、取り組んでいることに真面目であることが伝わってくる、何かうまく言えないけど、悩むことではないというか、悩んでいると逆にうまくいかなかったりすると思うから、あまり気にせず練習してみたらどうだろうか。意外と新しい発見があるかもしれない。色々書かせてもらったけど、最後に伝えたいことは、甲子園行こうぜ! ってこと。日誌交換、ありがとう。
[page_break:部員から始まった班日誌]部員から始まった班日誌
実際に使用している班日誌
小山台高校で、個人で書く日誌に加えてもうひとつ、チーム日誌こと『班日誌』がスタートしたのはいまから7年前だ。
班日誌というのは、学年をシャッフルして部員を3~4つのグループに分け、そのなかで、1冊のノートを回して、書いていくというものだ。
実は、この班日誌を始めたのは、部員からの提案だった。
「福嶋先生、チームワークが良くなるためには、いま書いている日誌をチーム内で回して、全員がお互いの日誌を見られるようにしないといけないと思うんです」
「あっ、そうなの?」
福嶋監督らしい返事ではあったが、すぐに班日誌は取り入れられた。
この日誌の効用には、福嶋監督が最も驚いた。
「これまでこのチームは、エラーが多くてね。それで試合も負けることあったんですけど、全員で1冊のノートを交換するようになってからは、エラーが驚くくらいに減ったんですよ。心が通じ始めたんだなぁって思いましたね」
彼らは、毎日書く個人日誌に加え、2週間に一度回ってくるチーム日誌にも愛情をこめた。7年経ったいま(当時)でも、このふたつの日誌は小山台高校で続けられている。
この年の夏、新チームから副班長となった冨田 陸は、班日誌の良さをこう話す。
「班日誌があるから、短い練習で毎日のミーティングができなかったり、お互いに話す時間がなくても、チーム力を高めることができるって思います。大会前になると、より厳しい意見が飛び交ってくる。日誌のなかで険悪なムードになったりするとすぐに、ミーティングを開いて、みんなで本音で話し合うようにしています。そういった場でお互いの思っていることを隠さずに伝えることができるのも、班日誌のおかげです」
エースの伊藤も、班日誌を読んで、投手としての役割を学んだ。
「新チームが始まったばかりのころ、野手とピッチャー陣の間で壁ができた時期があったんです。そんなときも直接、言えないことも、日誌に書くことでお互いの気持ちが分かったりしました。その後は、試合中に会話をしたり、壁をなくすための努力をしました。
入学したころは、試合で自分がいいピッチングをしたいという思いが強かったけど、班日誌を通じてみんなの思いを読むなかで、チームの勝利のために投げたいっていう気持ちが沸いてきました」
2年生ながら、エースとしてマウンドに立ち続けた伊藤。
3年生の先輩たちにとっては最後の夏。
その初戦、伊藤は7回無失点と好投をみせた。
そして小山台高校は2回戦で、日体荏原高校と激突する。日体荏原高校は前年秋に東京都大会4強入りしているチーム。東東京きっての好カードに、多くの観客が[stadium]大田スタジアム[/stadium]に詰めかけた。
伊藤は試合前日、ノートにこう書いた。
(第3回に続く)