サードコーチャーの役割
第5回 サードコーチャーの役割2011年06月28日
08年の大阪大会。ちょっとした話題をさらった選手がいた。
背番号は二桁。試合に出ているわけではない、当時、東大阪大柏原にいた安達隆晃という男だ。
「注目されていたかはわからないんですけど、顕著だったのは夏の大阪大会の開会式です。『写真撮ろや』っていってくる選手が結構いました。履正社が特に言ってきて、履正社の輪の中で、東大阪大柏原の僕が一人で、写真を撮られていました」。
安達が注目されていた理由――。
それは彼が全身全霊をもって全うする三塁ランナーコーチの姿が凄まじかったからだ。走者の指示から始まるバッターを勇気づける声掛けのひとつひとつは、従来の三塁コーチャーの概念を超えたインパクトを与えていた。
球場に響き渡る声とともに、大きなジェスチャーを駆使する。それが安達だった。
たとえば……先頭打者の出塁が欲しい時には、身体の心臓部を叩き、「気持ちやぞ、気持ち。形なんかどうでもいい。とりあえず、当たってでも塁に出ろ」と叫ぶ。
また……無死あるいは1死二塁の場面では「右方向や、右方向に打て、セカンドの頭や」と、二塁手後方を指さす。
あるいは……絶好のチャンスの際には「男になれ~~」とシンプルに勇気を送る。
そのパフォーマンスのごとき彼のコーチングは、逸材を発掘しに来たプロのスカウトでさえ「柏原の三塁コーチャーはおもろいぞ」と話題にするほどだった。
安達が見事だったのは元気さだけではない。試合の各局面において、的確な指示を送ることができた。先述したような、二塁に走者を置いての、セカンドを指さすジェスチャーは、進塁打を打てというメッセージを実に分かりやすく、選手伝えたものだ。
安達は回想していう。
「僕は3年の春から三塁コーチャーをやらせてもらったのですが、大きかったのは2年秋に、スコアラーでベンチ入りをしていたことです。その時、ベンチで僕は監督の田中(秀昌)先生の隣にいて、いつも、僕にささやいていたんです。こういう場面では、こう言う風に声を掛けろ、と。例えば、セカンドにランナーがいる時なんかは『セカンドの頭を狙えって言うんや』って。僕は監督に同じことを二度言わせるのが嫌だったんで、試合を重ねていくうちに、身についていったんだと思います」
ジェスチャーは彼の専売特許だ。三塁コーチャーズボックスで、時に膝をつき、身体を大きく使ってメッセージを伝えるという発想など、三塁コーチャーにはなかった発想である。
「三塁コーチャーというだけで振り返ればいいコーチャーではなかったのかもしれません。ランナーの指示と言う部分では、ミスもしていて、チームにも迷惑を掛けた時もありましたから。ただ、あの時の僕は、特に元気を出そうと思っていました。そのことだけでしたね。一生懸命、バッターに気持ちを送ろうと思っていたら、自然とあんなことになっていたんです」。
そもそも、安達がチームの信頼を得るようになったのも、その元気の良さからだ。高校1年夏の新チームから、実力不足ながらに、Aチーム入り。彼の元気のよさがチームに活力を与えると首脳陣に目をつけられ、抜擢されたのだ。
安達はいう。
「僕が入学した直後の夏の大会で、前田健太のいるPL学園に勝って、先輩らはベスト4に進出したんですね。この時、正直、こんな上手い人たちとやって、俺、あかんわぁ。レギュラーなんて、絶対無理って諦めていたんですね。そしたら、新チームになって、田中先生が元気のあるやつを使うって言ってくれたんで、僕にも生きる道がある、そう思えたんです」。
2年の春には、その指揮官の言葉が偽りではないというエピソードが起こる。とあるオープン戦で、代走要因としてベンチ入りしていた安達は、試合終盤に起用された。すると、チームは打者一巡。代走のはずの安達に打席が回ってきたのだ。
安達は苦笑気味に当時を振り返る。
「こういう場面になると、田中先生って、決まって、代打を誰にするか探し始めるんです。そこで僕は、田中先生の見える前でバットを黙々と振っていたんです。そしたら、田中先生が『いけ、いけ』って言ってくれて。」
「結果は三振だったんですけど、元気だけは存分に出してきました。バッターボックスでは『こい』って叫んで、三振して、ダッシュでベンチに帰ってきて……、それで、田中先生がみんなに言ったんですよ。『この姿勢ですよ。この姿勢をみんなは忘れている』と。僕はこうやって生きていこうと思いました」
2年の春からは選手としての活躍は諦め、マネージャーとしてチームに携わっていた安達は、2年秋はスコアラー。3年の春を迎える前あたりから、ランナーコーチをするようになっていた。
当初こそ、安達の大きな声やジェスチャーは「うっさいわ」と反感を買う時もあったが、継続していくと誰もが安達を認めるようになった。
「途中からは、バッターも僕の方を見て、うなづいてから打席に入ってくれましたし、チェンジになった時に、僕の元気さを見た後輩が『安達さん頑張ってきます』と言って、ポジションにダッシュで言ってくれていたので、すごくうれしかった」と語る。
その安達自身は、ランナーコーチの役割をどう認識していたのだろうか。
「チームとしては、田中先生が『気持ち』を大切にする監督さんだったので、僕が声を掛けていたのは、その部分が多いです。実際、バッターに関しては、バッターの気持ちを考えると、すごいプレッシャーがあると思う。特に、夏の大会はそうじゃないですか。そんな時には、『俺の味方や』と思わせることが大事で、『みんなのために打ったってくれ』ですよね。
ジェスチャーに関して言うと、バッターにしても、ランナーにしても、声を大きく出しても球場だと声が通らない時が多いんで、どれだけ大きく見せられるかだと思います。ジェスチャーが大きかったら、勝手に身体が動くと思うし、必死さを伝えたら、ランナーは「ヤバイ、はよいかな!」って思ってくれると思いますからね。バッターにしても、『俺、打たなアカン』って思ってくれたらいい」。
ある試合ではバッターが20球粘ったことがあった。局面で言うと『投手VS打者』のはずが、安達が打者に声を掛けることで、1対2の局面になったのだ。
『粘れ』『負けるな』『男になれ』というチーム内の共通認識は安達の声から生まれた。安達はランナーコーチをしてきたことで、野球の楽しさをさらに発見できたともいう。
「試合に出て活躍することが野球かもしれないですけど、野球はそれだけじゃない。裏方の仕事も、立派な野球なんだなと思えるようになってきました。だから、思うんです。高校生には技術が通用しないだけで、野球を諦めて欲しくないなって。チームが強くなるためにとか、甲子園に行くためにとか、裏方もチームの一員なんで、チームと一緒になって諦めずに頑張ってほしい。最後まで続けることに意味がある。それがノックを打ったりだとか、何かは分からないですけど、役割を探して、頑張ってほしい」。
三塁コーチャーも立派なポジションなのだ。チームを勝利に導く、あるいはチームを一つにする貴重な存在にもなりえるのだ。安達は願いを込めて言う。自分のような、またそれ以上のランナーコーチが出て欲しい、と。野球の楽しさが、ただ試合に出るだけではないんだということを感じてほしい、と。
「学生野球でランナーコーチが注目されたら嬉しいですよね。多分、そんな選手は出てくると思う。ランナーコーチとか、ベンチワークのできる選手とか出てきてほしい。特に、今の日本は国全体、元気がないんで、そう思いますね」。
今年の夏も、ランナーコーチと言う大役を務める選手がチームには必ずいる。安達のような、とは言わないまでも、あのボックスからチームに活力を与える選手が出てくればと、願うばかりである。
(文=氏原 英明)