沖縄尚学高等学校(沖縄)【前編】
「『勉強』と『春の実戦』が『夏の強さ』を決める」
夏の全国高校野球選手権沖縄大会で、2012年から3年連続で決勝へ進出。さらに現在2連覇中でV3達成となると、1988年の沖縄水産以来27年振りの快挙となる沖縄尚学。では、その強さの秘訣とは?前編では一見野球と関係ないようで、実はとても関係のある「勉強」の話から比嘉 公也監督に語って頂きます。
学生の本分は勉強
比嘉 公也監督(沖縄尚学高等学校)
まもなく最後の夏を迎える3年生たち。わずか2年半の間に沖縄尚学の選手たちは伝統を背負い、立派な球児となる。では、彼らを育てていくために比嘉監督が根底に置くチーム作り、基礎中の基礎とは……高校球児には耳の痛い話かもしれないが学生の本分「勉強」だ。
「まず入学してきた時の彼らから感じることは、野球をやりに来ているという思いが強い。その思いは大事なのですが、それしか頭にない分、中には勉強を疎かにしがちな部分もあって。
テストの点数しかり、各教科の先生からの苦情だって実はあります。そういうことがある選手は、沖縄尚学では練習には参加出来ません」
当然ながら学校は「野球部ありき」ではない。「まずは学校が先、学業や生活態度が先」ということを、入学したての野球部員たちに比嘉監督は口すっぱく言い続ける。
そして勉強ができなければ、練習できない。練習できなければ、ライバルに差をつけられる。甲子園を目指している彼らからすると、葛藤の日々がいきなり始まる格好だ。
「なので、ウチでは1年生がすぐに戦力となってベンチに入る、というようなことは基本的にないですね」(比嘉監督)
入学後すぐ公式戦登板した東浜 巨(亜細亜大→福岡ソフトバンクホークス)(関連記事)のようなケースは例外中の例外なのだ。
ちなみに比嘉監督は野球部監督の一方で社会科教諭の側面も持つ。だからこそ、教諭側の辛さも理解できる。よって他の教科で成績が悪い選手がいる場合には、その教科の先生に比嘉監督自らが頭を下げて補習などを行う。さらに最終的に追試的テストを受ける際も、比嘉監督が責任者としてその子に付き合う。
これで大概の場合、選手たちは目覚める。
「本当はグラウンドに居なくてはいけない監督が、自分のために放課後を空けてくれる。甲子園を目指してる先輩たちにも悪いことをしている。こんなんじゃいけない!」
こうして1年生たちも2学期には勉強が苦ではなくなって、点数がどんどん良くなってくる。
「最初の動機は『クリアしないと好きな野球が出来ない』でも構わないんです。でもこういうことをする中で段々、学校があって、本分を全うして初めて野球(部活)があるということに気付いてくれるんですよ」
こうして1年の時に苦しんだ理解力が、2年生、3年生になると身に付くように成長する。これは正に野球で必要な原理と同じであろう。
人生は高校で終わりではない。大学や社会へ進む子も出てくる中で、学業をおざなりにしていては結果、当の本人たちが進学後に苦しむ。比嘉監督の言う「学生の本分は勉強」という基礎は、そういった深い意味が含まれたものなのだ。
冬の成果を春の実戦で確かめる
グラウンドに集まる選手達(沖縄尚学高等学校)
こうして勉強を通じ、野球につながる様々なものを身に付けた沖縄尚学の選手たちは、次に冬場のトレーニングでレベルを上げる。「ローマは1日にして成らず」である。
特にこの冬、沖縄尚学の練習は壮絶を極めた。
4季連続甲子園出場から一転、新人戦も中央大会も制し第1シードとして臨んだ昨秋県大会初戦「打席の中での工夫も無く、仲間での伝達などの徹底さも足りなかった」と中村 将己主将(3年)も認める試合運びで部員10人の宮古総合実に4対6で敗退してしまったことが、その要因である。
チームとしては、それまで2箇所だったゲージを3箇所に作って、より多くボールを打ち返し、リードの幅では3m50cmがひとつの目標として比嘉 公也監督が選手に通達。さらに個の部分でも「ボールに対して上から強く叩くことを意識し、軸足が伸びたり解けたりしないように、バッティング練習でも開かない、逆方向への打球を求めてやっている」中村に代表されるように、自己の打撃をチームに還元する形を追究してきた。
そしてこの成果を春の実戦で試す。
「極端な話にはなりますが、冬場に積んできたトレーニングの成果を試す実戦が、春の解禁後の対外試合。そしてそこから出てくる課題をクリアしていきます」(比嘉監督)
投内、または内外の連携プレーや攻撃での形などは春季沖縄県大会を通して確認していく作業が続く。
選手起用もそう。例えば明治神宮大会を制した(試合レポート)旧チームであれば、山城 大智(現:亜細亜大1年)という絶対的なエースがいた。そこで指揮官は、山城を夏の沖縄大会準決勝・決勝を連投させることを前提条件に、春は投手起用を組み立てていった。
そして戦術面も。象徴的なのは今年の春季大会の準決勝・興南戦である。
この試合では先に2点を奪われ、攻撃陣も8回までにわずか3本のヒットのみ。が、9回に先頭打者が相手のエラーで出塁すると次打者もライト前で続いた。打者は4番・神里 廣之介(3年)。そこで沖縄尚学が採った策は……。
「無死一・二塁。選択としてはバントを成功させてニ・三塁として、まずは一打同点を狙うという野球も必要ですが、あの場面は1イニングで一気に逆転をするんだという野球を選手たちに示したくて。夏の大会で勝ち上がるためには、こういうことが出来ないとダメなんだぞと」
比嘉監督は強攻策を指示。結果、4番神里がセンターフライに倒れると、後続も連続三振して敗退してしまった。
だがここで得られたものは多々ある。これで最後の夏で同じ状況になった時、採る策も決まったはずだ。春に勝つためだけなら、セオリー通り。でもやはり、勝負は夏なのである。
後編では沖縄尚学流のチームスタイル見定めと、夏に重要なスタミナ維持法。さらに3年連続沖縄大会制覇へ挑む指揮官・選手たちの声をお届けします!
(取材・写真=當山雅通)