弘前学院聖愛高等学校(青森)
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春・夏の甲子園で3季連続準優勝の八戸学院光星、青森大会で6連覇を達成した青森山田、この私学2強が牽引してきたと言っても過言ではないのが青森県の高校野球だ。2013年夏の青森大会、その2強を破り、甲子園出場を決めたのが、弘前学院聖愛高校だ。甲子園では、沖縄尚学に勝利する(2013年08月16日)など、初出場ながらベスト16に進んだ。もとは女子校で、練習環境も2強に比べて恵まれているとは言い難い。そんな弘前学院聖愛の勝利を可能にしたチーム作りに迫る。
主体性を重んじ、強み生かしたチーム作り
原田一範監督の話に耳を傾ける選手
昨夏の青森大会、準々決勝で八戸学院光星、準決勝で青森山田と立て続けに対戦した弘前学院聖愛ナイン。青森山田が甲子園でベスト8になった1999年から八戸学院光星(当時は光星学院)が準優勝を果たした2012年まで、青森県内で2強以外が甲子園に出たのは2010年の八戸工大一のみ。その八戸工大一も、2強両方に勝っての甲子園出場ではなかった。
「機動力を生かした野球」がスタイルの弘前学院聖愛。今年で創部14年目を迎え、地元の古豪・弘前工OBの原田 一範監督のもと、近年力をつけ、強豪校の一つにまで、のし上がってきた。一方で2強に敗れることも多く、夏だけでなく、春季、秋季の大会含め、「あと一歩」が遠く、県の頂点には駆け上れないでいた。
昨夏、2強に勝利した試合、何か特別な作戦でもあったのか。原田監督に聞くと、意外な答えが返ってきた。
「戦力として、こう戦おうとか、作戦とかは、正直あんまりなかったんです」
それでは、これまでの戦い、チームと何が違ったのだろうか?
弘前学院聖愛に、大きな転機が訪れたのは2011年秋。原田監督が手応えを感じていたチームが、県秋季大会で青森山田に4対2で敗れ、初戦敗退したことだった。そこから、
「監督の私が指示を出すシステマティックな野球では大事な場面で勝ちきれないと思い、選手の主体性を重んじたチーム作りに変えた」(原田監督)
という。選手たちに練習メニューを考えさせるところからスタート。2012年夏は決勝で八戸学院光星に敗れ惜しくも準優勝に終わったが、選手の主体性を重視する方針は変えなかった。
以降はさらに、「強みを生かすチーム作り」も徹底した。原田監督は、
「光星、山田さんがウサギなら、うちらは亀。ウサギに陸上で勝負しようと思ってもダメだけど、海での勝負なら勝てる。全国からエリートが集まる2校に、ピッチャーの球速やホームラン数など、技術面で勝とうとするのではなく、私たちの強みでもある心技体の残りの部分、体格づくりだったり、チームワーク、感謝や謙虚さなどの心の部分だったりで勝とうと考えたんです」
と語る。
優勝した昨夏のチームは例年より、練習量を減らし、地域のボランティアをしたり、地元の岩木山に登ったり、6月の合宿でチーム対抗のゲームをしたりと、とにかく、チームの「和」を大事にするようにした。加えて野球ができることや周囲への「感謝」の思いを育てることに力を尽くした。原田監督は、
「一番変わったのは精神面。どんな場面でも動じないチームになった。光星戦も前年の決勝のリベンジだとか、そんな感じはなく、今やるべきことに集中できた。それまでは『打倒光星』『打倒山田』だったが、そうではなく、うちらが頑張ってこれたのも、強い2校がいたからこそ。その2校にも感謝しよう、と。1、2年生が多いチームで、3年生の一戸将(投手兼内野手)、小野憲生(投手)の二枚看板と4番の成田拓也がしっかりと支えてくれていたのも大きかった」
と振り返った。
チーム内のコミュニケーションが増加
昨夏の甲子園2回戦の沖縄尚学戦。マウンドの小野投手に、捕手の和島 光太郎選手が「肘が下がってます」と声をかけ、そこから小野の投球が良くなった―ということがあった。
主体性やチームワークを大事にしたことによって、試合中、選手がチームメイトや相手チームの変化に、より敏感に気付けるようになり、そして、自主的に話し合えるようになったという。
機動力野球で相手をかき回すというチームカラーもあり、
「たくさんのことに気付けば、その分有利になる。普通は情報をインプットして、誰かに伝える、という流れだが、練習などの場面でアウトプットの機会を増やすことで、逆に選手たちに『インプットしよう』という意識が働いている」
と原田監督は語る。練習では、具体的にどのような取り組みをしているのだろうか。
聖愛高校野球部の朝礼の様子
例えば、日課の『朝礼』と『終礼』。練習前の朝礼は選手たちがグラウンドで円になり行う。選手によるスピーチ、その日の練習目標の宣言、さらに、隣に立つ選手の良いところを褒める、ということも。練習後の終礼では、その日目立った選手への「ヒーローインタビュー」。とにかく、チームメイト同士、否定しあわないという。
実際の練習では、一つのメニューの始まりと終わりに、選手が必ず一か所に集まり、目標や反省を確認し合う。そこに監督やコーチが入っていくことは滅多にない。自分たちで問題を発見させ、考えさせる。
さらには週1回の『会議』。6人程度の少人数のグループに分かれ、一週間の振り返りと今週の目標設定を行い、グループごとにまとめた結果を発表する。1時間以上かかるが、誰かが一方的に話すミーティングではなく、全員に発言の機会を持たせることを大事にしてるという。
選手同士のコミュニケーションを大事にするチームの方針に、捕手の和島選手は、
「ピッチャーとも普段の会話を増やすことで、こうした方がいい、というのが見つかる」。
甲子園後の昨秋の大会でマウンドに立った野手兼投手の外川 和史選手(3年)も、
「良かったことも、悪かったことも、やっている自分たちだからわかる面もあるので、会話が増えるのはいいこと」
と話した。
加えて、チームでは選手たちにそれぞれ、役割を持たせることで、自主性や責任感を育んでいる。バッテリー、内野、外野、バッティング、走塁、トレーニング、各分野に担当の主任と副主任がおり、練習の中心的役割を果たす。誰が主任、副主任をやるかは立候補制だ。
さらに、『朝礼』『規則』『環境物品管理』『健康管理』『データ管理』『学習』の6分野で『指導部』があり、選手たちは必ずどこかに所属しているという。
役割の徹底は、練習だけでなく、実際の試合でも、選手が能力を発揮するためのキーになっている。原田監督は「選手に多くを求めすぎないようにしている。打撃も守備も走塁も、全てを求めるのではなく、それぞれの強みを生かす役割を与えている」と話す。
例えば、和島選手には「打てなくても、走れなくてもいいからとにかく投手をリードして抑えろ」と話し、当時1年生だった佐々木志門選手には「とにかく思いっきりやってくれればいいから」ということのみ。原田監督は、
「光星戦、青森山田戦ともに、抑えるべく人が抑えて、走るべく人が走り、打つべく人が打った。それぞれの役割を徹底できたからこそ勝てた」
と語った。
謙虚さ大切に日本一目指す
昨夏、弘前学院聖愛の甲子園初出場に地元・弘前市は盛り上がった。八戸学院光星は八戸市、青森山田は青森市の高校。かつては、弘前工、弘前実、東奥義塾など、弘前市内の高校が甲子園に出場することも多かったが、1996年の弘前実以来、2013年の弘前学院聖愛まで、甲子園に出場した高校はゼロだった。
弘前学院聖愛は、私学といっても、特別野球に力を入れているわけでもなく、設備も十分とは言えないが、甲子園出場をきっかけに、バッティングマシンやヘルメットが寄付され、部室も完成。室内練習場として使っていたビニールハウスの横には、倍近い大きさのビニールハウスが新築された。
しかし、甲子園直後の秋季県大会では準決勝で、青森山田に3対9で大敗。東北大会に進んだものの、ここでも準々決勝で、青森山田に7対8の延長サヨナラ負け。そして、この東北大会で優勝、選抜大会への切符を手にしたのは八戸学院光星だった。原田監督は、
「秋の大会で、甲子園メンバーのエラーが目立った。隙があった」
と振り返る。
昨秋の敗退以降、11月いっぱいまで関東に遠征し、練習試合を重ねてきた。冬には昨年よりもさらに、選手たちが主体性をもって練習に取り組んだという。ただ「謙虚さがもっとほしい」と原田監督。「甲子園に出て、周囲にちやほやされて、貪欲さ、謙虚さがなくなってきている」という。
整備用のトンボ作りに取り組む選手たち
青空が広がった4月中旬の取材日。冬の間、雪でグラウンドでの練習がままならない青森県内のチームにとっては、春季大会前、1日練習ができる貴重な日だった。
そんな日に、選手たちが練習よりも前に行ったのが整備用のトンボ作り。3人一組になって手作りし、完成したトンボの柄に自分たちの名前を記した。
グラウンド横のベンチには、何度も使われ、土で黒くなったトンボと、この日作られた真新しいトンボが並んだ。練習時間を削ってまでも、トンボ作りをさせたのは、選手たちに、謙虚な気持ちを思い出してほしいからこそ、という。
現チームについて、竹内 克哉主将(3年)は、
「昨年、技術以外の面を完璧にやって勝とう、ということで取り組んで甲子園に出て、でも今のチームはまた、技術に意識がいってしまっている。チームワークとか、聖愛の原点にあるものを強めていきたい」
と反省を口にし、「目標は日本一になること」と力を込める。
甲子園出場メンバーが多く残り、夏の連覇に向け、周囲の期待も大きい。ただ、原田監督は「昨年の優勝は関係ない。うちはあくまでもチャレンジャー」と強調する。
昨夏の優勝は、強豪校相手にひるむのではなく、チーム全体の力で勝負できたからこそ。個々の技術やセンスといった弱点に目を向けすぎず、自分たちの強みを高めることが、強豪校攻略の近道かもしれない。
(文・木村 明日香)