Column

紀北工業高等学校(和歌山)

2014.04.17

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 2013年夏の和歌山大会。2005年以来、8年連続で夏の甲子園に出場していた智辯和歌山高が3回戦で敗れるという波乱が起こった。智辯和歌山の夏の和歌山大会9連覇を阻止したのは、公立の紀北工。下馬評は圧倒的に智弁和歌山が優勢だったが終わってみれば2対1のスコアで紀北工の勝利。まさしく番狂わせと称していい一戦だった。

4年ぶりの智辯和歌山との対戦

谷本 憲司監督と紀北工ナイン

「『よし、やったー!』という気持ちと『普通に考えたらかなりの確率で負ける相手。やっぱりいやだな…』という気持ちが入り混じったような感じでしたね」

 和歌山県橋本市に位置する和歌山県立紀北工業高等学校。グラウンドに到着し、出迎えてくれたのは紀北工の指揮を執って今年で8年目の谷本 憲司監督。昨年夏、初戦の初芝橋本を6対3で下し、2戦目(3回戦)で智辯和歌山と当たることが決まった際の選手たちの反応を訊ねたところ、冒頭の答えが返ってきた。谷本監督は続けた。

「でも僕自身を含め、選手たちには、ほかの学校に負けて甲子園の道が絶たれるならば智辯和歌山さんとやって負けたいという思いはありました。
 勝ち進んだとしても、普通に考えればどこかで当たるチーム。智辯和歌山さんは大会日程が進むごとにエンジンがかかっていくチームなので、準決勝や決勝で当たるととても勝てる気がしないのですが、大会の序盤は公立校相手でも、時折、モタモタした試合をすることがある。
 もしも勝つチャンスがあるならば、大会序盤しかないかなと思っていました」

 智辯和歌山とは2009年夏の準決勝でも対戦し、0対4で敗れている。
「スコア以上の力の差を感じた試合でした。打球が速いし、滞空時間がものすごく長いフライが上がるんです。普段の練習や、よその高校と試合した時には体験できないような高いフライが上がるので、当時のサードも、三塁ファウルフライをひとつ落としてしまった。この時の苦い経験を踏まえ、ノックの際に高いフライを捕球する練習を定期的におこなうようになりました」

 2012年秋、2013年春には奈良の智辯学園との練習試合も組んだ。智辯学園の猛打を浴び、結果は完敗だったが、ゲームを通して得た「気づき」もあった。

「大敗の中、緩急をつけたり配球を工夫することで抑えられたイニングもいくつかあった。フォアボールやミスがなければそうそう点は入らないということもわかった。強豪校でもひるまずに、向かっていくことがなにより大切なんだと。智辯学園戦を通し、そのことに気づけたことが大きな収穫でした」

 智辯和歌山との対戦が決まった際、谷本監督は選手たちに、
智辯和歌山の打線がいくらすごいといっても、今年は奈良の智辯学園の方が上だと思う。あれよりも打たれることはないと思うぞ」
と伝えたという。
「智弁和歌山さんも奈良の智弁学園さんもユニホームはほぼ同じ。結果的に奈良の智辯学園さんとの練習試合が智辯和歌山戦の予行演習のような役目を果たしてくれた気がします」

 谷本監督は智辯和歌山との対戦を前にしたミーティングで
「やる前から相手を怖がって、自分たちからコケるのはよそう。自分たちからコケて自滅しなければ、勝てるかどうかは別にして、いい勝負はできる」
 と強調した。
「背伸びしたところで、突然野球がうまくなるわけじゃない。普段通りのことがおこないやすい雰囲気を作ってあげたい。そのことばかり考えていた気がします」

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[page_break:5回終了時に発せられた監督の言葉とは?]

5回終了時に発せられた監督の言葉とは?

「監督からは『打たれてもいいからフォアボールを出すな! 絶対に逃げるな!』と言われ、マウンドへ送り出されました。あとはキャッチャーのサイン通りに投げただけ。首は一回も振ってないはずです」
 前チームの背番号1を背負い、智辯和歌山戦の先発を任されたエース左腕・中井 健二は昨夏の記憶を紐解きながらそう言った。

 中井をリードした正捕手の廣畑 壮之にも記憶を辿ってもらった。
「練習試合を行った経験のある奈良の智辯学園の打線をイメージしたのですが、緩急をうまく使わないと抑えられないと思った。普段よりも緩いカーブを多めに使いました。そしてなにより『絶対に逃げない』。そのことを強く意識しながらサインを出したことをよく覚えています」

 じゃんけんに勝った紀北工の先攻で2013年和歌山県大会3回戦は始まった。
 智辯和歌山の先発はエースの吉川 雄大ではなく、2番手の原 大輝だった。
「きっと原君だろうなと思っていた」と谷本監督。
「とにかくピッチャーがだれであろうと、普段通り、打てると思った球をどんどん積極的に振っていけという指示を出しました。智辯さんのような強豪とやる時はとにかく先取点を取ることが大事。じゃんけんに勝ったので迷わず先攻をとりました」

 3回を終わって両チームともに無得点だった試合は4回表に動く。二死二、三塁から5番・河村 翔太の放ったライン際の三塁ゴロを三塁手がはじき、待望の先取点が紀北工に入った。続く5回表にも7番・堀田 大翔が高校通算3本目の本塁打をレフトへ放った。

紀北工・河村 翔太捕手(3年)

「ホームランなんて誰も期待していなかった。あの予想外のホームランでベンチがものすごく盛り上がったことはよく覚えています」(中井)

 5回を終えたところで2対0。グラウンド整備が行われている時間を利用し、谷本監督は選手たちをベンチ裏のロッカーに集め、こんな話をしたのだという。以下、中井投手の証言。
「『この2点のリードをなにがなんでも死守するぞ!』みたいな話になるのかなと思ったら『ここまでやってくれるとは思わなかった。ここまでよくやった。先生は十分満足だ。もうこれ以上何も言うことはない。ここまできたら試合の勝ち負けはどうなってもいいから、残り4イニング、自分たちの好きなように思い切って楽しんでやってこい!』と言われて。ここで守りに入らなかったことが今思えば大きかったと思う」

 この発言の真意を谷本監督に訊ねてみた。
「『リードを守らなきゃ!』というプレッシャーを与えたくないという気持ちもあったし、心から『ここまでよくやってくれた!』という思いもあった。でもそういう言い方をしたことで、選手たちは『よし、やるぞ!』という雰囲気になっていった。一人ひとりの目がキラキラと輝いていたことがものすごく印象に残っています」

 智辯和歌山は6回表にエース・吉川を投入し、6回裏にはその吉川のレフトオーバーのタイムリーツーベースで1点を返したが、グラウンド整備間の谷本監督の言葉がきいたこともあり、紀北工のベンチに動揺はなかったという。
「選手たちには『1点返された? 当然だよ。智辯和歌山が完封なんかさせてくれるはずないじゃないか』と言いましたね」(谷本監督)
「不思議といやな気持ちはなかったんですよね。むしろエースを引っ張り出せたことでベンチがものすごく盛り上がったことをよく覚えています」(中井)

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[page_break:飲まれそうで飲まれなかった理由とは]

飲まれそうで飲まれなかった理由とは

練習の様子

 そして2対1で紀北工1点のリードのまま、試合は最終回を迎える。9回裏を前に[stadium]紀三井寺球場[/stadium]は異様な雰囲気に包まれた。

「7回あたりからどんどん球場が『このまま智辯が負けてしまうのか…?』といった感じでザワザワと変な雰囲気になっていき、9回裏が始まる時にボルテージは最高潮になった。『紀北頑張れ!』という応援の声もあったのでしょうが、智辯の逆転を期待する声の方がはるかに多かった。バックネット裏からうちのベンチに向かって『紀北工業ご苦労さん! よく頑張った! もう打たれてもいいぞ!』といった声も聞こえてきましたから。普通に考えれば、その雰囲気に飲まれ、浮足立ってしまってもおかしくない状況でした」と谷本監督。

 しかし、紀北工ナインはこの状況で浮足立つことはなかったという。それは一体、なぜか。

 再び中井投手の証言。
「試合前のミーティングで谷本監督に『今日戦うべき相手はグラウンドにいる相手チームだけじゃない。スタンドにもいる。観衆は多いし、智辯和歌山の応援席の迫力もすごい。4年前に対戦した時はその応援の凄さに圧倒され、飲まれてしまった。普段とは違うスタンドの雰囲気になるものだと思って、この試合に臨んでほしい』と言われたんです。だから球場がざわついて異様な雰囲気になっても『なるほど。これが監督の言っていたことか』と比較的冷静に思うことができた。もしも前もって監督に言われていなかったら、球場の雰囲気に飲まれて逆転されていた気がします」

 9回裏、紀北工は二死満塁という一打逆転サヨナラの大ピンチを迎える。打者は一番の阪本 将太。捕手の廣畑は「きっと初球を狙ってくる」と感じ「初球の入り球として外角高めのボール気味のストレートのサインを出した。

 谷本監督は「『ここで逆転サヨナラ負けを食らうなら、だれが見てもヒットだと判別できるような会心の当たりを打ってほしい』とひたすら願っていた」と絶体絶命の局面における心境を明かしてくれた。
「もしもエラーで逆転されでもしたらその選手は一生そのことを背負ってしまいかねない。だからエラーになりそうな打球や『あれは捕れたんじゃないの…?』と言われてしまうような微妙な打球は勘弁してほしいという思いでいっぱいでした。『そんな打球が飛ぶならいっそスタンドに放り込んでくれ!』と思ってました」

 廣畑捕手の読み通り、打者・阪本は果敢に振ってきた。要求したコースよりもやや甘く入ったが、打球はショート蜜田 晶太の頭上に高々と上がった。4年前の対戦で紀北工ナインを驚かせた滞空時間の長い、内野フライだ。

 谷本監督は心の中で「これは落とすわけにはいかない…。落としたら彼の人生がえらいことになってしまう」と叫んだ。エラーを呼びかねないほどの、高いフライは谷本が懸念していた類の打球でもあった。

 しかしこの高いフライは4年前の対戦以来、定期的に練習していた打球でもあった。
 やや危なっかしい体勢になりながらも、蜜田はしっかりと掴んだ。試合終了。中井が勝利の胸中を回想する。
「3アウト目をとった後も『ほんまに勝ったんかなぁ…?』という気持ちがしばらく消えませんでした。でもそれは自分だけじゃなくて、ナインも口々に『勝ったんやんなぁ、おれたち?』と言い合ってました」

 下馬評をひっくり返す紀北工の番狂わせ。智辯和歌山の夏の連勝記録が41でストップした瞬間でもあった。

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[page_break:甲子園に出場するよりも難しいことを成し遂げた]

甲子園に出場するよりも難しいことを成し遂げた

谷本 憲司監督

 智辯和歌山を破った勢いで甲子園出場を期待された紀北工だったが、3日後に開催された準々決勝の和歌山東戦で接戦の末、5対6で敗れてしまう。
 谷本監督は「智辯和歌山戦は無欲で戦えたが、次の一戦は勝たなければいけないという気持ちが強すぎ、本来の力が出し切れなかった。それが残念」と振り返った。

和歌山東高戦の前日の練習で、選手たちの動きがガチガチになっていたんです。『どうしたんだ…?』と訊ねると、どうやら智辯和歌山に勝った後、たくさんの人から祝福の電話やメールが各選手に入ってきたらしいんです。

智辯和歌山に勝ったんだからもう甲子園は決まったようなものだな!』といった内容のことを言われ続けるうち、『絶対に勝たなきゃ…』という智辯和歌山戦の時にはなかった心理が働いてしまったのでしょうね。けっして油断したわけでも燃え尽きたわけでもないんです」

 一発勝負の高校野球の勝敗にはメンタルの要素が大きく入り込む余地があることを実感させられるコメントである。

 「冷静に考えればうちと智辯和歌山の実力の差はありすぎた。もしもこれがリーグ戦ならば20回対戦して1回勝てるかどうか…。そのくらいの実力差はあると思う。その1回があの日に来た。そう考えるとすごいことをやったんだと思ってしまいますね」

 智辯和歌山打線を見事に抑えきった中井は、昨年の夏の大金星をそんな言い回しで表現し、谷本監督は、
「甲子園に出るよりも難しいことを成し遂げたとは思う」
 と言った。

 確かに勝つ確率自体は低かったのかもしれない。しかし、勝った事実はまぐれでもなければ偶然でもない。指導者の言葉の力、準備する力、そして逃げずに向かっていく心。これらをおろそかにしなかったがゆえの必然性のある試合だったのだ。

(文・服部 健太郎

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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