東陵高等学校(宮城)
[pc]
[/pc]
今春、選抜大会に初出場する東陵。
学校・寮とグラウンドが離れている環境のため、平日の練習時間は限られる。そのため、選手自らが考えて取り組む「自主練習」の時間が、なかなか取れない。それでも、東陵の選手たちは、全体練習を「自主練習」のように、選手自らが考えて取り組むことが出来る。
実は、その取り組みこそが、個々のレベルアップにもつながっている。
“試合作りが上手い”東陵を支える自主性
東陵・佐藤 洸雅投手
昨秋の宮城県大会2回戦の東陵対東北(試合記事2013年9月24日)を観ていた仙台育英・佐々木順一朗監督は試合中に「東陵、強いよ」とつぶやいた。
それは、「こなれていたから」だと言う。決勝で戦い、2対1で仙台育英が勝利(試合記事2013年9月24日)したが、実際に試合をしてもそのイメージは変わらなかったそうだ。
グラウンドにて必勝祈願の儀式
東陵は「野球ってこうやるんだよね」という声が聞こえてきそうなくらい、試合作りが上手かった。そして何より、東陵の選手たちは追い込まれても萎縮せずにグラウンドを駆け回り、野球を楽しんでいた。
なぜ、昨秋の東陵は、そんな野球が展開できたのだろうか。
そこには、千葉亮輔監督が大切にしている『自主性』への意識の高さがある。
マネージャーや学生コーチはおらず、65名全員が選手。時期によっては、メンバーとメンバー外に分かれることはあるが、全員がまんべんなく練習できる環境にある。
「その子がその気にならないと良くならない」「選手の方が的を射たことを言っている」「監督が言うと絶対的になる」
そう言って、監督が前に出ることはない。ミーティングも練習前に少し話をするだけで練習後に改めて話すことはない。練習中に言葉を発することは多くなく、「見守る」という言葉がピタリとはまるくらい、ジーッと選手たちの動きを見ている。それも、楽しそうに見ている。
ふざけた話の中でそれぞれが本音を話すようになったミーティング
ノック練習
東陵OBで1988年夏の甲子園出場メンバーである千葉監督は、1997年から2005年夏までコーチを務め、2005年秋から監督に就任した。この頃は手取り足取り教え、
「言わないと気が済まなかったんですよね。黙っていればいいのに、言っちゃうんですよ。言うことがいいことだと思っていたんです」と振り返る。
それが、2006年秋から2011年3月まで部長をしたことで見方が変わったと言う。
「部長は公式戦で決断ってできないですよね。監督はその場で決断しないといけない。高橋洋一監督(千葉監督と東陵の同級生で88年夏甲子園出場時の投手)は相談してきたんですが、最後に決断するのは監督ですよね。
部長をやった時にいろんなことを客観的に見ることができて、勉強をさせていただきました」
打つにしろ、投げるにしろ、「こうしろ」「ああしろ」ということはなく、ケガにつながりそうでない限りは選手のフォームをいじらない。
「(以前は)自分も打てないくせして、選手のダメなところに気がつくと『こうだよ』と言ってしまう。
その子はそれで合っているのに、ひょっとしたら自分が変えることでダメにしてしまう可能性もあるかもしれません。『こうした方がいいんじゃない?』と言って、すぐ変わるものでもありません。言われて変わるほど甘いものではないですよね。選手が、練習をやったか、やらないかだと思います」
今年のチームに関しては、その基盤は徐々に作られていった。新チームがスタートして間もない頃、山﨑誠悟主将は千葉監督にメニューの確認に行くと、いつもメニューを指示されたが、その時は「何をしたい?」と聞かれた。しかし、思い浮かばず答えられずにいると「甘いんだよ」と言われた。その後、アップが個人アップになった。
「ダラダラ喋りながらやっているヤツとか、一人でも黙々とやっているヤツを試されていました。自分たちが今、何をしなければならないのか、常に考えるようになりました」と、山﨑は振り返る。
ノックを打つ千葉 亮輔監督
また、1つの敗戦が拍車をかけた。昨秋、東北大会で準優勝(2013年10月18日)した東陵だが、実はずっと勝っていたわけではない。
県大会出場を懸けた東部地区予選で石巻に6対7で敗れ、地区のベスト4で県大会に出場している。この石巻戦での敗戦でチームは変化し始めた。
「石巻に負けるまでは、練習試合のたびにメンバーでその日の反省はしていたんですが、それは各自の反省でした」と山﨑。内容は試合の反省がほとんどの堅苦しいものだったという。
「自分、1年生の時から、練習メニューは自分で考えたいなと思っていて、メニューを考えるようなミーティングをしたいと思っていました」
地区予選後、練習後に数人が寮の食堂に集まって練習について話し合う場を設けるようにした。それも、ジュースを飲んだりして堅苦しさを打破。真剣になり過ぎず、ふざけた話の中でそれぞれが本音を話すようになった。
「意見を聞いた中で『こいつ、そこまで考えていたのか』と思うこともありました。監督さんに『練習をマジメにやっているヤツ誰だ?』と聞かれた時、意識の高いヤツを挙げたいと思っています。
今、ベンチに入っていないで応援にまわっている人の中でもいつも真剣にやっている人がいるので、チャンスがあるなら、そういう人の名前を挙げたいと思っています」
グラウンドで一緒に白球を追っているだけでは見えていなかった仲間の新たな一面を、腹を割って話すことで知ることができた。
もちろん、ミーティングでは練習内容について話し合われた。今、自分たちに何が必要なのかを考えた。自分たちで課題を見つけ、それを千葉監督に提案。監督も信頼してOKを出し、
「選手がやりたい練習」が実現していった。例えば、内野ノック。4カ所の各ポジションに野手がつき、ノッカーは4人。ホームを挟んで、三塁側から2人のノッカーがファーストとセカンドに、一塁側から2人のノッカーがサードとショートにノックを打った。これは1人がより多く球数を受ける必要があると思った場合に取り入れた。
外野では、守備範囲が狭かった選手が多かったことから、ノッカーと野手の位置を通常より縮めて、ノッカーは打球を左右や後方に打った。ランニングのコースも逆回りを提案するなど、どうすればよりよく練習できるかを考えた。話し合い、コミュニケーションをとることで、互いの考え方も分かるようになった。
[page_break:野球を「楽しもう」とするのではなく、自然と「楽しんでいる」]
野球を「楽しもう」とするのではなく、自然と「楽しんでいる」
[pc]
[/pc]
常磐大グラウンドでの練習中、常磐大高からプレゼントされた千羽鶴を持って
新チームになってから練習試合、公式戦を44試合戦ったが、試合が相手ペースになってしまったのは、東北大会決勝の八戸学院光星戦(試合記事2013年10月18日)だけだったという。
日頃の練習を自主練習のような高い意識で取り組み、試合につながる“自主性”を身につけていった東陵の選手たちは、高校野球の聖地・甲子園球場になっても、きっと、「自分たちの野球」を披露してくれるだろう。
(文・高橋昌江)